私が宗教を学んで感じたこと その1

私は大学生のころ、学内の宗教文化研究隊というチームの立ち上げメンバー、リーダーをさせてもらっていました。
顧問の先生が引率してくださって、さまざまな宗教施設の見学をしたり、教義を教えていただいたりしました。

もともと、まったく宗教というものを意識せずに生活をしていた10代だったので、たまたま浄土真宗の大学に進学することになって、「信仰ってなんか怖いな、勢いがすごいな、どうしてそんなに熱心になれるんだろう」というあまりよろしくない(?)興味の持ち方をしていました。
大学卒業後の今、私は「信仰」に至っていないままです。自分が「これだ!間違いない」というものが、あるようでない、ないようである…みたいな宙ぶらりんな状態です。しかし、宗教を学ぶことは続けたいと思っています。

さまざまな宗教を学ぶ中で、「宗教は危険だ」と感じますし、「宗教は大切だ」とも感じます。今回は素人が宗教に触れて、たぶんこれが「宗教」をみるうえでのポイントなんじゃないかということを3点、書いていきたいと思います。

①中学校で学ぶくらいの歴史は知っておいたほうが良い。
どの宗教に触れるときも、知識は持っておいたほうが良いと思います。

川をイメージします。宗教という概念がない時代から、自然の営みとして「信仰」があり、それが形を変えたり、混ざったり、流れが緩やかになったり、変化しながら今の私たちのところに。
ほとんどの宗教は、時代や環境の影響を受けて、ここに伝わってきているはずです。その経緯を知ると、客観的に幅広く宗教を見ることができますし、「宗教って結構身近なんだな…」と感じられると思います。

②教団は会社みたいなものという意識を持っておく
一個人の思想を発信するのに、とてつもない労力が必要…というのは現代もありますよね。
宗教団体のもともとはその一人、教祖といわれるような人から始まっています。教祖が「私の話を聞いてほしい」と思うか、教祖を支持している人が「教祖の話を広めたい」と思うかは様々ですが、情報を広めようと思ったときに大切なのが、チームで、それが教団です。

伝統的な宗教であっても、社会情勢の中で、教団の存続自体がとても大変だった時期があります。そんな時、工夫を凝らした布教方法が生まれたりします。

スタッフ育成や、施設を建てる経費をまかないながら、教団の規模を拡大し、より多くの人に布教して、教えを聞いた人が豊かになったり救われたりするのが教団としての理想です。(教祖的な人がそれを理想としているかはまた別)

信仰は、ビジネスとは次元が違うもののように感じますが、教団というのは、割ときちんと組織化、体系化されていて、ちゃんとお給料も払われていて…というのがほとんどだと思います。
その辺がもやもやしている団体、私はちょっと怖い…。

③幸せになれる、豊かになれるとはどういうことか考える
よく、「〇〇を信じたら幸せになれました!」みたいなフレーズありますが、その「幸せ」は具体的にどういうことなのか、じっくり考えたほうが良いと思います。
便利になることが幸せだと感じる人もいれば、便利になることが不幸だと感じる人もいます。また、信仰をエネルギーに変換しやすい人と、信仰とエネルギーは別だという人もいます。
例えば、AさんとBさんが5000円ずつお布施をしたからといって二人とも5000円分の幸せを感じれることはないのです。そもそもAさんとBさんでは幸せの方向性が違いますし、5000円を高いと感じるか安いと感じるかも感覚はそれぞれですし…。
宗教は人を超越した何か=だからこそ信じられる、なので、信者同士が張り合ったり…そういう世俗的な感覚にとらわれていると本末転倒、みたいに思ってしまいます。(私個人の意見です。)

とにかく、宗教に興味を持った時は、宗教だけでなく、歴史や生活について広ーく考えることが大切‼だと思います。

読んでくださり、ありがとうございました。




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