また、書けるようになるのだろうか。
まず、初めにお断りしておきたいのだが、この記事はnoteに上げつつも、不特定多数の、多くの方に読んでもらいたい、という話ではない。
ただ、これまでnote上でフォローしたり、私のような者が書いた記事でも読んでくださる人たち、数は多くないけれど、note上で知り合った、私にとっては大切に思える人たちに、ああ、そんな事があったのか、と思ってもらえればそれで良いし、そして何より、今の自分の気持ちを記憶しておこう、と思って書いている記事なのである。
今月の上旬、とうとう父は天に召されてしまった。
人の最期というものはあっけないものだ。
会社でランチを食べようかという頃に、入院している父の呼吸が浅くなったと病院から連絡があったので、行ってくると実家の母から電話が入り、そこからわずか2時間経とうかどうかという頃、再び母から入った電話は、父が逝ってしまったことを伝える電話だった。
会社を早退し、葬儀や何やら、実家で母や兄弟といろいろ段取りをして。
あれから数週間。
何か空虚で、しかし気忙しくもある中で、時間だけが静かに、しかしいつにも増して早く流れたような気がする。
不肖の息子だった。
別に父と反目しあっていたわけではない。
ただ、もっといろいろな事を話しておけばよかったと思うことばかりだ。
今にして思えば、もっと「男同士」の話をしたかった。
私は、いつまでも子供のままだったような気がする。
漠然と、父は死なないと思っていた。
もちろん、私だって人間はいつか死ぬことは知っている。
本気で、父の「不死身」を信じていたわけではない。
けれど。
年の割に、若々しかった父。
心のどこかで、100歳くらいまで生きられるのではないか、くらいは思っていたのだ。
だから、実家に帰るのも、また今度でいいやくらいに思ってしまっていた時期もある。
何やってんだ、俺。
今はこんな精神状態だから、今ひとつ仕事も冴えないし、趣味も何となく興味を失ってしまった。SNSも、少しだけ物憂く感じて、距離をおいてしまっていた。noteも開かずにいた。フォローしている方の記事に「スキ」をつけたのも、ようやく昨日くらいになってからだ。
それでも、父が亡くなってから今日まで、腹も減れば、酒も飲みたくなる。眠くなれば、眠る。当たり前といえば当たり前だが、人というものは一面、あさましいものだ。
こういう精神状態だと、何かをインプットするのも、アウトプットするのもなかなか億劫なことには違いない。胃腸が弱った時に、消化の良いものしか受け付けなくなるように。
いつも読んでる新書など、なかなかページが進まないが、テレビやYouTubeは観ていられる。自分からアクティブに知識や情報を取りに行けること、そして何かを書いたり表現したりということは、やはり精神的な部分での「体力」がないとなかなかできないのではないか。ぼんやりと、そんなふうに思う。
こんな長文を書いたのも、久しぶりだ。
ただ、この文章は長いだけで「芸」にはなっていない。いや、これまで上げてきた記事が「芸」になっているかはともかく、この文章は「芸」にすらしようとしていない。
ただ思うまま、を書いてみただけなのだが。
それでも、まだ正直、しんどい。
ただ。
これも偶然だと思うのだが、ここ数日で、何人かの方が、私が「みんなのフォトギャラリー」に上げている写真を記事の見出し画像に使って下さっており、そういうのを見るにつけ、「note」も自分の大事な居場所のひとつなんだよなあ、ということは感じたりして。
今はまだまだだけど、第二回の「キナリ杯」もあることだし、その頃までには自分のメンタル、というか「創作意欲」みたいなものが戻ればいいな、とは思う。
この文章はその、ほんの第一歩というか、最初のリハビリというか、ストレッチというか。手掛かり。
のんびり、ゆっくり、じわじわと回復させていく。
そんなつもりで、いい意味で「「適当に」頑張ってみるさ。
(了)
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