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Prophet-5復活で考える、シンセ界は「二周目」に入ったのか。

私自身、クオリティはどうあれ人前でもちゃんと弾けるよ、と言える楽器がベース。だけど、このベースという楽器を自分の「生涯の趣味」にしようと思うまでには、いろいろ遍歴がありましてね。

私がまだ多感な(汗)10代の頃はね、御茶ノ水の楽器店巡りが週末の愉しみだったんだよね。イシバシ楽器とか下倉楽器とか、谷口楽器とか。
あれは、1980年代の、初頭の頃ですよ。

楽器店の店頭に並ぶ、きらびらかなギターやベースたち。
複雑なコントロールパネルが、逆に美しいとさえ思えてしまうアナログシンセサイザー。その隣で佇む、計算機のようなボタンだけの、クールなたたずまいのデジタルシンセサイザー。
どうだ、と言わんばかりに「深胴」のタムがずらりと並んだドラムセット。
黄金に輝く、サックスやトランペットなどの金管楽器。

映画なんかでよくありがちな描写として、ニューオリンズの楽器屋の店頭で「ショーケースに飾られたトランペットをいつまでも見ている黒人の少年、彼こそ後の…」みたいなね。そういうのもありますけど、80年代の「中坊」にとっても、御茶ノ水の楽器屋のショーケースや、貰ってくるカタログにはね、「いつまでも眺めていられる魔力」みたいなもの、確かにありましたよ。いや、正確に言えば、いつまでも眺めていられるのは、楽器そのものよりも、その楽器を使いこなしているであろう将来の自分の姿、だったのかもしれないのだけれど。

こういうことを言うと、いかにもおっさんな感じではあるのですが、肌感覚として、90年代初頭までは、軽音楽の世界ではプロ用とアマチュア用の機材って、現在より、もっとはっきり色分けされていたような気がしますね。

それはもちろん金額的なものもそうですが、やはり出音の違いというか。
あの頃までは、これは絶対手が届かないんだろうなと思わせる、そういう楽器は確かに存在していたような気がします(このあたり、クラシックの世界とかアコースティック楽器では今でもそうだと思いますが)。

中学生の頃だったか、一度だけ都内のさる大型楽器店でPPG Wave2.3の現物を見たことがありますが(当時の価格で、普通乗用車が買えるくらいの値段だったと思います)、あの青いパネルの神々しさ、シンセのくせにテンキーがついてたりとか、そういうミステリアスなところも含めて、厳然たるプロフェッショナル向けの機材というのは確かに存在してたと思うんですよね。

そのあたりの壁を、シンセサイザーの世界で言えば、最初に壊したのがYAMAHAのDX7だったように思いますし、KORGのM1あたりもね、それに拍車をかけたというか。エレキギターの世界だとどうかな…例えばフェンダー・ジャパンの設立というのはその嚆矢だったかもしれませんね。ただ、エレキギターやベースの世界でも、かつてほどプロとアマの機材の「超えられない壁」は低くなったような気がします。もっとも、この背景にはビンテージ楽器の価格高騰、という面もあるのですが。

ただ、ですよ。
わかりやすくするために、ちょっとシンセサイザーの世界にフォーカスして言うと、例えば名機と言われるProphet-5やOB-X、あるいはプロとアマの機材の壁を壊した、そのYAMAHAのDX7にしても、

「ああ、これはこの楽器の音だよね」

という、その楽器の看板となるような「音」を持っていたような気がするんですよね。Prophetならあの有名な、粘るようなモジュレーションの効いたリード、OBならヴァン・ヘイレンの「JUMP」で聴ける強烈なブラス、DXなら、あのキラキラしたエレピの音とか。
おそらく私と同じくらいの年回りの人で、楽器に興味のある人なら、例えばライブを見る時にキーボーディストの前に積み上げられているシンセサイザーを見て、あの曲のストリングスはこのシンセで、リードはあれで、ブラスはあのシンセで弾くんだろうな、なんて思って見てて、そのとおりにキーボーディストが弾くと「ほら、やっぱり!」なんてね…ちょっとビョーキな見方ですかね(笑)
ただ、当時こういう愉しみ方をしていた「シンセ小僧」はまあまあいたはずだ、とは思うんですよね。
時代が下ってMIDI全盛期になると、プロも軒並みセットする鍵盤の台数を減らすようになって、この手の愉しみ方はあまりできなくなっちゃいましたけどね。

おそらくは21世紀になった頃からかな…それは多分、プロセッサとかメモリなどの、エレクトロニクス系の技術の発展によるものだろうと思うのだけれど、どんどん電子楽器は器用になりながら、しかし、ちょっと嫌な言い方になっちゃいますが「没個性」になっていったと思うんですよね。今や何ギガのPCM波形を搭載したシンセなぞ別段珍しくもない訳で、安価なモデルであっても、作り物感の少ない「アコースティックピアノ」の音とか、レスリースピーカーを通したオルガンの音なぞ簡単に出る訳ですし、エレキギターの世界でも、非常にスマートなDSPを搭載したマルチエフェクターを通せば、シングルコイルのピックアップを載せたエレキギターが、あたかも「ハムバッカーを搭載したギターのような太いサウンド」を奏でることだって不可能じゃなくなってきた訳ですよ。

技術の進化は、とても素晴らしいことだし、かつて「プロしか使えなかったような機材のような音」が、手の届く価格帯の機材によって出すことが出来るようになった、ということはアマチュアにとって、とてもありがたいことではあるんですよね、間違いなく。
ただし、その一方で「誰が弾いても似たような音になる」ということも、避けがたい事ではあるわけです。

このあたり、シンセサイザーの世界では顕著なんじゃないかと。シンセサイズ、つまり「合成」という言葉がその名前の由来だった楽器が、いつの間にか「音作り」すら必要としない、プリセットだけで完結する形、つまり非常に性能の良い、プレイバックオンリーの「サンプラー」とも言える方向に進化していったわけですね。
日本のメーカーの、直近の機種でいけば、YAMAHAのMODX、KORGのKROME EX、RolandのFA。例えば、この3機種が奏でる「ローズっぽいエレピの音」、聞き分けられるかと言われれば、うーんってところも、ないわけじゃないですよ。実際に弾いているプレイヤーだったら、ベロシティの効きなんかで違いがわかるかもしれないけれど、アンサンブルになってしまえば、そこで聴こえる音に、機材の個性と言えるほどの大きな差があるかどうか。これはどうでしょうねえ。
PCM音源が全盛になる前からシンセサイザーに触れてきた世代の人間からするとですね、その機材しか出せない音色、音色そのもののオリジナリティーとか、最近はあまり重視されてないのかなあ、などとつい感じてしまうのですよね。

もっともこうした事は、すでに80年代、多くのヒット曲が「DX7」の音色で溢れていた頃から起きていることであり、だからといってそれで別段、世界中の軽音楽がつまらなくなったということなど決してないわけなので、これまでのシンセサイザーの進化の仕方というのは、これはこれで正しかったのだろうと思います。

ただ、その傍らでここ数年、かつての「名機」とされる機材のクローンモデルが続々と市場に送り出されているのは興味深い動きです。
KORGがARPのODYSSEYを「再開発」したあたりからこの動きは顕著になっていると思います。RolandもJUPITER-Xでアナログ音源ではないにしても、かなり再現度の高い形で往年のJUPITER-8やJUNOシリーズの音色を再現できるようになったみたいですし(このあたり、デザインだけ往年のJUPITERに寄せた、80や50に対するファンの「がっかり感」への、Rolandなりの回答のような気もしますが…80や50も素晴らしい機材だとは思うんですがね)、ユーロラックを用いたモジュラーシンセの静かな盛り上がりもありますし、BEHRINGERはミニモーグをポリフォニック化するなんて素敵な事をしたり、一方で本家のmooogは、ミニモーグModel Dの復活、さらに実質的にメモリーモーグの後継機と言うべき「moog one」をリリースしたりとか。かつてDX7を筆頭とするデジタルシンセ群に駆逐されたはずのアナログシンセたちが、最新のテクノロジーの恩恵を受けながら続々と復活を遂げているあたり、これはPCM系の機材へのアンチテーゼ、というわけではないのでしょうが、こうした「アナログ復権」という胎動は「今の機材に足りていない何か」を求める層が一定数存在している、ということなのではないかと。

そんな中、かつての「シンセ小僧」にとっておそらく今年一番大きいニュースは、やはりこれじゃないでしょうか。
Prophet-5の復活。

https://info.shimamura.co.jp/digital/newitem/2020/10/138613

Prophet-5と言えば、おそらく「ユーザーが作った音色をメモリーできる」最初のポリフォニックシンセ(YAMAHAのCS-80のミニパネルのアレをメモリーと呼ぶのであれば、最初ではないけれど)であり、言うまでもなくYMOのサウンドの屋台骨を支えたシンセサイザーのひとつ。教授はソロアルバムでも多用してましたね。

Prophet-5が発売された70年代末当時の、日本での価格は実に170万円。
とてもアマチュアが買える機材じゃありませんね。
80年代に入ってから、Prophet-5の弟分として、アマチュア層にもどうにか手が届く価格のProphet-600が市場に投入されますが、ほぼ同時期にDX7が発売されたこともあり、いくらProphet-600がMIDI対応しているといっても、あの当時の雰囲気としては「もうアナログは古い」という空気でしたし、ましてDX7よりも10万円も高いプライスタグを付けていては、セールス的には、もう「勝負あり」というところだったでしょう。

Prophet-5がどんな音を奏でるかは、私の拙い筆力では表現しきれないので、氏家克典さんの秀逸なデモをご覧いただくとして。

ね、いい音でしょう。特にrev.3のデモの方の、4:20あたりからのリード音。これはたぶんプリセット33番の、Prophet-5と言えばやっぱりコレだよなあ、というあの音。

今回のProphet-5の復活にあたり、ちゃんと品名が「rev.4」になっているところなんてのは、往年のファンには感涙モノでしょうなあ。わざわざ「rev.4」を名乗らせるということは、まだ「rev.2」も「rev.3」も死んだわけではないよ、というね。何というか、開発者であるデイブ・スミスさんの「思い」みたいなものを感じます。

* * *

確か1984年の暮れくらいだったでしょうか。
塾帰りに立ち寄ったある楽器店の、キーボードコーナーでDX7やJUNO-106、KORGのPOLY-61などが陳列されている傍らで、お店の隅っこの、本当に目立たない一角に、中古品のARP ODYSSEYが置かれていまして。
価格は11万5000円。
当時中学生だった私としては、いくらYMOが使っていた機材だといっても、アナログのモノシンセに10万以上も出せないよ、なんて思っちゃいましたよね。結局高校の進学祝いで両親に買ってもらった、マイ・ファーストシンセはKORGのPOLY-800(それもリバース鍵盤の…)でした。
後になって、シンセの事がいろいろ分かってくると、あの時のODYSSEYがいかに貴重だったかがよくわかりましたけど、ね。
でも、中坊の目には、あの当時の最新鋭機種たちがとても眩く映ったんですよ。MIDIがあれば何でも出来る、って感じで。シーケンサーや2台目のシンセをいつか手に入れて、俺も坂本龍一みたいになれるかも、ってね。
いい夢を見させてもらいました。

時代が下って、私が社会人になった頃には、もうPCM系のシンセが全盛になってました。シーケンサーも搭載したワークステーション機が一般的になってきた頃ですかね。KORGのTRINITRYが出たばかりで、RolandのJD-800あたりがデジタル音源のシンセサイザーとして掉尾を飾ろうとしていた頃で、あのあたりから、シンセの出す生楽器系の音が劇的にリアルになり始めたんですよね。
で、久しぶりに実家に帰って、御茶ノ水の楽器店街をぶらぶらしていると、そう、中学生の頃にみた、あのODYSSEYと同じような場所に、DX7の中古機がぽつんと置かれていました。
フライトケース付きで、2万円でした。
もう、どっちかと言うとフライトケースの方が価値があるんじゃないかという価格。何か栄枯盛衰って感じですね。エレキギターやエレキベースの世界では、古い楽器とは言っても、コンディションが良好である限り、ここまで価格が下がることはないですから。「電気楽器」ならぬ「電子楽器」の世界は、なかなかシビアなものがありますねえ。

今は、どうでしょう。またFM音源の良さは再評価されているのではないですかね。特許の問題もクリアされたのか、KORGも再び、前向きな意味でFM音源のシンセを発売する(DS-8、ありましたね。KORGもM1を生み出すまでは辛い時代でしたね)みたいですしね。しかし、復活したアナログ機にしても、FM音源搭載の機材にしても、それがPCM系のシンセを駆逐するわけではなく、それぞれの長所を活かしながら、組み合わせて活用するという時代に入った、ということなんでしょうね。

往年の名機と最新鋭のシンセ機材が手を組んで素晴らしい楽曲を生み出し、奏でる。
シンセサイザーはもはや楽器界の若造などではなく、円熟の段階、つまり「温故知新」が出来る「二周目」に入ったのではないでしょうかね。
一杯呑りながら、楽器メーカーの商品紹介のページを飽きもせず眺めているかつての「中坊」は、ふと、そんな事を考えたりしています。

おっと、さくっと書くつもりだったのにもう5000字超えの記事になってしまいました。どうも年寄りの昔話は長くていけねえ。失礼。

(了)

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