見出し画像

ただのファイト

あんな風にはなりたくないと思った子どもの心は残酷で透明で、包丁を握る母の手がどんな思いで震えているのか考えもしなかった

すました顔のあの子のとりつくしまもないような賢い冷たさに都会に住む従姉妹を思いだし私はこっそりあの子を恨みました

ファイト
たたかうきみのうたを
たたかわないやつらがわらうだろう
ファイト
つめたいみずのなかを
ふるえながらのぼってゆけ

とても若い頃、私が悩み苦しんでいるのを鼻にもかけなかったあいつや、嘲笑ったあの女や、あらかじめ用意された答えしかくれなかなったあの人たち、全員を憎み、でも私だってたくさん悪いことをしたと、受け止めて流されて街の四角い灰色の石と同じになっていた

生きるなんて絶望だけ
そう思って電車の中で泣きながら通った職場には年齢詐称で入り、それでもその中ではいちばん若かった
眠れない日が続き肌が荒れて、ファンデーションで隠しながら机に向かい、ふと気絶したように意識が飛び、すぐ、気がつくと、後ろの席の人が頭ひっぱたいてやればいいのよ、と皆に言うのが聞こえました

田舎のあの暗い家にいたら死んでしまうと思って、この生きる価値のない本質を忘れて雲をつかもうとする社会を軽蔑しながら、それでもどこかに別のあり方があるんじゃないかと東京中を探しました
何も、何ひとつ、かけらさえ見つけられませんでした、あの頃の私は

ふぁいと
たたかうきみのうたを
たたかわないやつらがわらうだろう
ふぁいと
つめたいみずのなかを
ふるえながらのぼってゆけ

金が稼げなくなり私は暗い田舎の家に戻り、ずっと絵と文章を書き続けた
バックボーンもアカデミックな知識も何もなく、ただ遺された膨大な著作権切れの文章と絵と、私が金と交換した生きてる著作者の言葉に打ち震えながら、絵のコンテンストに応募したり小説の賞に応募したり、いくつかwebsiteをつくりました
HTMLとCSSとjavascriptと少しのPHPはぜんぶ独学で、だけど今の仕事にはとても役立ってる
それらはぜんぶ社会から外れた東向きの、母が死んだときに横たえられていた部屋で、感情を押し込めて理性だけで培った技術です
母の墓にはただ骨壷が収められ、もうずいぶん長い年月が経つのに墓石もなく線香台があるだけ
そんな家で育ちました

ふぁいと
たたかうきみのうたを
たたかわないやつらがわらうだろう
ふぁいと
つめたいみずのなかを
ふるえながらのぼってゆけ

このまえ、東京にいたころの知人が金に困って私のところまできてもう死ぬからといって私に死んだあとのいろいろなことを頼みたいと言ってきました
私は最初その通りにしようと思って、三原山の自殺の見送り人の少女のように、たんたんと彼の苦しみを見送るつもりだった
でも彼は死ぬつもりはなかった
だた金が欲しかっただけ
八万よこせと言ってきて、結局彼は金さえあればまともに生きていける人間なのだと実感し、それでも八万渡すか考えたが、私の全財産は十二万円でした、でも渡すか考えた
渡して、全てを手放して支援団体に連絡し、せめて彼が落ち着いて眠れる場所を確保できればと思った

だけど彼は嫌がった
金だけ渡せと言ってきた
私、考えたんです
いろいろと福祉の施設を経験した身にとって自分はまともである、いやまとも以上に能力のある人間だと思い込んでるうちは、福祉サービスを受ける心理状態にはならないと
福祉という漠然としたイメージは陰惨で負け組のものだから、と彼は言葉にこそしなかったけど言葉の端々からそう思っているのが分かった
彼は彼なりに戦っている
傍目に見れば負け戦だけど
命を擦り切らして戦っている

私は結局妄想に飲まれて皇居に入ろうとするくらいおかしなことになっていたから、精神病院から福祉につながった
あの頃の私の正気が吹っ飛んだレベルに比べれば、彼はまだ正気だった
でもその正気をふっ飛ばさない限り、彼はこの社会の歯車としての苦しみから外れることができないだろう
私、精神科になんて行きたくなかった
私が生まれ持ったままの性質で、このいまいち本質が見えない鉄の壁に覆われた社会と身一つで真正面からぶつかって
社会のほうを壊すか
私が完全に壊れるか
どちらかで終わらせたかった
頭を下げて福祉サービスが求める障がい者に成り下がって、また社会と関わりを持つことなんていやだった
だから八万よこせと言ってきた彼の心はわかる
分かるけどどうしようもなかった
一万円だけ渡して
夜の街へ置いていった

私の敵は私です

ふぁいと
たたかうきみのうたを
たたかわないやつらがわらうだろう
ファイト
つめたいみずのなかを
ふるえながらのぼってゆけ

今も世界中でたくさんの人が勝ち目のない戦いに駆り出されてる
戦いに勝つのはほんの一握りで、大多数は諦めと惰性で、それでも戦いの中に身を置かれている

ファイト
ファイト
つめたいみずのなかを
ふるえながらのぼってゆけ

----------------------
ファイトの部分:中島みゆき
それ以外:個人的創作



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?