見出し画像

私とフィンランド02 | 旅立てないキキ

キキ「あんなに急かしたくせに、いざとなったらグズつくのね」
ジジ「違うよ。旅立ちはもっと慎重に、おごそかに行うべきだと思うんだよ」
キキ「そして、ひと月のばして、ステキなボーイフレンドが現れたらどうするの?それこそ出発できやしないわ」

スタジオジブリ「魔女の宅急便」

前の記事で述べたとおり、激しくフィンランド熱をこじらせた私は、フィンランドでまた暮らしたい、学びたい、という思いに取り憑かれ、大学卒業後の進路として、フィンランドのヘルシンキ美術大学(現在のアアルト大学)への進学を検討しました。(しかし、実際に受験するまではここから10年以上の月日が。。。)

まずは大学に研究生として残ってから受験をと思い、研究生になるべく学務に相談に行こうとした際、視界の隅にピカリと光る紙がありました。何となく気になり、手に取ると富山市初の行政(商業デザイン)職員の募集案内でした。(紙が光ったんです。オカルトみたいですが)

当時の私は、実際に自分が手を動かしてデザインを制作することよりも、ある目的を達成するために、デザインを手段として使うデザインマネジメントという手法(現在のデザイン思考に近いもの)を使うことに強い関心を持っていました。そのため、行政にデザインを取り入れるという富山市の先進的な姿勢に感銘を受け、また、生まれ育ったまちのために自分が学んだことを生かすことができる仕事は面白そう!と期待を感じました。

海外の大学院に進学するためにはそれなりの資金が必要になることや、当時はアアルト大学のIDBM(インターナショナル・デザイン・ビジネス・マネジメント)という専攻に興味があり、学部生から直接受験するよりも、行政のデザイン採用職員として社会人経験を積むことが将来的に受験にもプラスになると考え、とりあえず大学で研究生になるという選択は消え失せ、謎の光に導かれ、まずは富山市のデザイン採用職員として就職しました。

最初に配属された都市整備部の都市政策課では景観政策を担当しました。いざ働き始めててみると、私が想像していた「市役所」のイメージとは全く違う、明るく活気のある、笑いの絶えない職場での楽しい社会人生活が始まりました。

そして「フィンランドの大学院を受験するぞ!」という私の野望は、いつも上機嫌で優しい上司、優秀で素敵な先輩方、頼りになる同期の皆さんや、後に夫となる男性との出会いにより、すっかり胸の奥に影を潜め、いつしか私は、冒頭にて引用した魔女の宅急便で例えるところの「修行の旅に出られなくなったキキ」となったのです。

https://www.ghibli.jp


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?