2023年4月、いよいよ臨月。今まで私を守ってくれた言葉たちへ
ほぼ寝たきりで過ごしたつわりが終わり、最後の仕事を納め、出産・育児用品を買い込み、ようやく臨月がやってきた。
完全計画無痛分娩を予定しているので、よほど早くお産のきざしがない限り、あと2週間で子どもが生まれてくる。
お疲れ私、よくやったよ。
さんざん「出産後は自由な時間がなくなるから、今のうちにやりたいことをやりな」と言われてきたけど、妊娠中の不自由さに比べたら「どうなんじゃろう?」と、未知なる世界に思いを馳せている。
「なんぼのもんじゃい!」と言い切れるくらい、余裕があるといいなぁ。
寝ても覚めても吐き気をこらえるつわりが2ヶ月続き、ようやく安定期に入ったと思ったら医者から「子宮けい管が短めだから、基本的にゴロゴロしててね」と言われ、数値が安定してきたと思ったらひどい貧血で、マタニティウェアを購入する度に目の前が真っ暗になりレジでしゃがみ込んだ。
『魔女の宅急便』に出てくるオソノさんのような元気な妊婦さんになりたかったのに、ダンスもだめ、旅行もだめ、映画や観劇もだめ(トイレ頻繁に行きたい問題だったり、血管の圧迫で冷や汗&気持ち悪くなる問題だったりで全然内容に集中できない)。
妊娠・出産・育児の本も、ゲームもマンガももう飽きた。家事もちょこちょこ休みながらゆっくりゆっくりやるので、時間をかけるわりに達成感が少ない。
何をやっても、どうしても妊娠前の自分と比べてしまって「何やってんだ」という気分になり、次第に「どうせ途中で具合悪くなるんだろうな」とやる気がどんどん削られていく。
それに比べれば、生まれた後のほうが、やることがいっぱいあって、(出産後の痛みがあるとはいえ)自分の身体はある程度元気に動かせるほうが、私にとっては向いている気がする。なにより、本当にしんどくなったら誰かに代わってもらえるところが素晴らしい。
どうしてもしんどくなったら、母に頼むなり、夫に頼むなり、シッターさんを利用するなり、産後ケアホテルなんかもいいと思う。金はかかるが、心身の健康、子どもを「愛おしい」と思える心の余裕のための出費なら、必要経費だ。
粉ミルク(なんなら乳首をつけるだけの缶ミルク)、紙おむつ、使い捨てのおしりふき、離乳食だって粉末だったり、パウチだったり。
「どうとでもなるよね~」と、自分がラクをするための情報だけは蓄えていた。
そんな私でも、誰かから「それじゃ子どもがかわいそう」と言われると、心がヒュッと縮こまる。
「計画無痛分娩なんて。陣痛は赤ちゃんからのメッセージなのに」「シッターさんなんて。子どもは母親が大好きなのに」「レトルトの離乳食なんて。ちゃんと味のわかる子どもにしたいなら」……。
「そんなん余計なお世話」「子どもが何を”良し”とし、何を”悪し”とするかは子どもが決めること」「親の愛情が必ずしも子どもを幸せにするとは限らない」と自分の中で何度も言い聞かせてみても、どうしても嫌な気持ちが拭えないのは、子どもの意思や気持ちをわかってあげられないから。
大人、例えば夫だって「いいよいいよ」「うちはラクしよう」って言ってくれているけれど、本当はどう思っているかなんて、夫にしかわからないのに。
そんなモヤモヤとした想いを抱えていた私は『女性を閉じ込める「ずるい言葉」』の森山至貴さんトーク&サイン会の質問コーナーで聞いてみた。
「子どもがかわいそう」は「ずるい言葉」というよりも「ただの悪口」のような気もするが、このモヤモヤをお焚き上げ(誰かから言われた「ずるい言葉」を発表して、みんなでモヤモヤしたり、晴らしたりする会)をやらないとおさまらなかった。
森山至貴さんはうんうんとうなずいて、こう伝えてくださった。
”「子どもがかわいそう」も子どもを人質にとった「ずるい言葉」ですね。
確かに、モヤモヤとした気持ちを拭うのはむずかしいかもしれません。
でも、その言葉に傷つき、悩んでいるななこさんは、それだけ子どもに愛情がある証拠だと思います。”
この言葉を聞いて、ほっとした。
まだ見ぬ子どもの存在に、実感の伴わない現実に、「私はいい母親になれないんじゃないか。愛情が湧かないのではないか……」という不安がいつもついてまわっていた私にとって「子どもがかわいそう」は、本当は、心のどこかで私自信がいつも思っていたことだったから。
何かラクな方法を見つけるたびに「でもこれって子どもがかわいそうなんじゃないか?」と思ってきたから、誰かからの言葉に過剰に反応していた。
でも、私には既に子どもへの愛情があったんだ。
子どもが産まれたら、いよいよ本格的に、そして何をするときにも「子どもがかわいそう」の鎖はついてまわるのだろう。
その鎖が痛かったり、苦しかったりする分だけ、私は子どものことを愛している。
正解がわからないことだからこそ、「それだけ子どもを愛している」という言葉で充分な気がしてきた。
妊娠中、私はお腹の子どもよりも、「私」を大切にしてもらってきた。
友達は私のお腹をなでながら「なるべくお母さんを苦しませずに産まれてくるんだよ」と言った。
最高潮にナイーブだった私が「でも、無痛分娩なんかして吸引とかになったら赤ちゃんが苦しむよね」と悩みを伝えると、
「私は付き合いの長さでいうと、赤ちゃんよりもななちゃんのほうが長い。ななちゃんが苦しまないほうがいいに決まってる」ときっぱり言い切った。
両親は「赤ちゃんのことは赤ちゃんのこと。あなたは私たちの娘なんだから、あなたが元気でいてくれるのが一番」と気遣ってくれた。
優しい言葉たちに私は守られ、そして私は私の子を守っていくのだ。
あとがきーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2023年4月25日、元気な男の子を出産しました。
子育ては想像の5倍は大変で、このエッセイを読み返すと「なにのんきなこと言ってるんだ」と思いましたが、そのまま公開することにしました。
実際の子育てはどんなにラクをしようとしてもやらなきゃいけないことがいっぱいで、毎日がトライ&エラー。「こうしなきゃ子どもがかわいそう」なんて、意識高い人だけができるとても高尚な悩みと思えるほどです。
ラクをしながら、傷つきながら、「それも愛情」と思いながら、子育てをしています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 読みごたえがあったと思います。ひと休みしてくださいませ。 もし余力がありましたら「スキ」やフォローをお願いします。