おいしいおはぎ
突然、友だちから「おはぎがたくさんあるんだけど、よかったら食べません?」というメッセージがきた。
おはぎを食べたいか食べたくないかでいうと、正直そ
れまでおはぎのことなんて思い出しもしていなかったので(一年ぶりくらいにおはぎを思い出した)自分でもよくわからなかったけど、それでもやっぱ食べたいのかもなと思ったので、もらうことにした。
友だちがわざわざ遠くまで届けてくれたおはぎは、白あんとこしあんの二つ。虎屋の大きな紙袋に、伝えられた通りびっしり入っていて、「どういう経緯でこのおはぎは...?!」と気になったけれど、なんか聞くのも野暮かなあとおもいそこまで聞かなかった。
届けてくれた友だちがいそいそと駅に向かって引き返すのを見届けて(たぶん、また他の場所へおはぎを配りに行ったのかもしれない)、駅前のロータリーでそのうちの一つを食べてみることにした。
白あんのすこし黄色がかったおはぎ。口に入れた瞬間、舌が予想していた重みを感じず戸惑った。おはぎのくせに、あまりに軽い。ちょっと甘めの空気を食べているみたいに軽い。赤ちゃんのほっぺくらいやわらかい。雪みたいに一瞬で消えてしまう。
つまり、とっても美味しかった。いや、もう、美味しいと思っている瞬間にもおはぎは消えていた。美味しかった記憶だけ舌に残して、ワープしたのかなくらい跡を濁さず消えていった。
このおはぎはどうやって作られたのだろう、ふわふわの手の和菓子職人さんがハムスターの赤ちゃんをつまむより優しい手つきで成形したに違いない。白あんはきっと、空に浮かぶ雲を炊いて作ったに違いない。
おいしいもの、美しいもの、すてきなもの、おもしろいもの。いいものは、それをどうやって作ったのか、想像することを止められない。
別に誰もそれをしろとは言ってないけど、その後ろ側を知りたいと思わせてしまう。
食べ終わってもう1時間も経つのに、いまだにその想像をしている。職人さんの顔すら見えてきそうなくらい想像している。
自分も、こんなに想像を掻き立てるものを作れるだろうか、とふと考えた。たぶん、そこの域にはまだ達していないのかもしれない。
けど、こだわりをもって、丁寧に何かをつくれば、きっと自ずとそういう形になっていくんだろう。
そうだといいなと思う、そうしなくちゃなとも思う。
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