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⑭【心身ともにボロボロな私( ; ; )】職は失ったけど、自尊心は失わなかったよシリーズ✨

前回は、仕事を辞めてから気が抜けて、プチンと切れてしまい、寝たきりになってしまった所まで書きました。

今日は、この後の身体の状態と、心の葛藤を書こうと思います📝


前回のお話しはコチラ⇩


これまでのお話はコチラ⇩


仕事を辞めたその瞬間は、すごい開放感に満ちあふれた私。

もうKさんと顔を合わせることもなければ、
この大変な身体を引きずって無理して仕事に
いこうと思わなくていいし。

上司達ともこれでおさらばだ〜👋って感じで。

辞めたその日は、久しぶりに近所の神社に行って、お祈りをし、境内にあるブランコをこいで真冬の冷たい風を感じながらゆっくりと滞在した。

当時、仕事が忙しすぎて、土日になると寝てることが多くて、平日にも余裕がなく、神社へのお参りの足はすっかり遠のいていた。

だから、あんなにゆっくりとした時間を神社で過ごすのは本当に久しぶりだったのだ。

ここの神社の境内にはブランコがあって、普通の公園のように子供達に占領されることがないので、大人でもひっそりとブランコを堪能できるのがとても嬉しい♪

神社のブランコは私の特等席なのだ♪




でも、
悲しいかな、常に心は移り変わるものだ。

日にちが経つうちに、

傷ついた自己が悲鳴をあげ始める。

"なないろさんは頭がおかしい"



みたいに言われ、精神病扱いを受け、
誤解されていることは、
やっぱりすごく辛くて納得がいかなくて、

怒りよりも悲しみの方が強かったように思う。


ただ、傷付いた自己は悲鳴をあげていても、
まだこの時は、自分の深い思いと
向き合う気力も勇気もなくて、

「今は何も考えたくない!!!」

と自分の心が叫んでいた。

だから、
私は、一日中何もしないでリビングに布団を
敷いて横になり、連続ドラマや映画などひたすら見まくった。

それでも時折り、苦しさが込み上げてきたけど…とにかくこの時は、毎日38℃くらい熱があって痛みもひどく、動きたくても動けなかったので、その事で逆に救われたように思う。


この時の私は、洗った洗濯物をカゴに入れて、2階のベランダに登るのでさえ大変な状態で、まるで自分が80歳くらいになったような状態だった。

体力、気力が全くありません❌



まだ80歳を体験したことがないのに
こんな風に言うのも変な話だが笑。


こういう時って、
もう二度と前のように元気になれないんじゃないかとさえ思ってしまう。

食事の支度も、ずっとできなくて、毎日のように、息子に食料を調達してもらっていて、そんな自分が情けなくて、落ち込んでしまう日々。


ある日の夜は、謎の呼吸困難になって、
その時ちょうど電話してきた息子が、


「救急車呼ぶよ!」と慌て、
 騒ぎになった事もあった。


この騒ぎ以来、「いざという時、家の中に入れないと困るから、玄関のドアロックはしないで」と息子に言われる始末。

あの頃は悲惨としか言いようがない生活と心身状態だった。

でも、不思議と眠れないということはなく、
コンコンと眠ることも多く、それだけはとても良かったと思う。


そして、少しづつ、熱が出る間隔が長くなってきて、痛みが少しづつ少しづつ和らいできて、起き上がれる時間が多くなって来ると共に、私は自分の想いと向き合い始めることになる。



自分と向き合う。

「内観」

これは口で言うほどたやすくなくて、
とても辛い作業になることは知っている。

でも、
今回の出来事を糧にして、また前に進む為には、どうしても避けられない道なのだ。


ありがたいことに、失業してしまった私には
時間もたっぷりあるし^^;

まず、今、自分にはどんな感情があって、
どんな想いがあるのかを観ることにした。

すると、やっぱり私は、今回の上司達の対応にすごく驚いていたし、傷ついていたし、一番強いのは悲しみだった。

もちろん怒りや悔しさもあったが…。

どんなにひどい人達でも、時には助け合い喜びあって共に仕事してきた仲間だと思っていたから、悲しみの方が強かったのだろう。

さて、この諸々もろもろの想いをどうする私?

どうする?どうする〜?


私と全く同じような体験じゃなくても、生きていると誰もが同じような想いに直面したことがあるのではないでしょうか。

だからこの後、私が、どのように考えて、この悲しみや怒り、悔しさを超えていったのかを書いていこうと思います🖋

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