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子供の泣き声が大きすぎて、児童相談所に通報され家庭訪問を受けた話。

※ショッキングなタイトルですが、笑いながら読む記事です。

この日がついに来てしまった。

本日、我が家に児童相談所から女性2人がやってきた。

「昨夜、遅い時間にお子さんの泣き声がしたと、心配した方から連絡がありました」だそう。つまり、端的に言うと虐待を疑われたということ。

私も夫も、もちろん娘に虐待をしていない。不妊治療の末の高齢出産で授かった一人娘ということもあり、むしろ愛情過多気味だ。それについての証人が身の周りに溢れているので、身の潔白を晴らすための証明にこの場所を割くつもりはないけれど、すごく貴重な経験をしたので備忘録。

※ちなみにこの前日に、私は〆切当日にパソコンが壊れてしまい「書きあがって、あとは送るのみ」という原稿が消えてしまった。担当編集さんに平謝りの連絡をし、半泣きで締め切りを1日伸ばしてもらう交渉をし、壊れたパソコンと涙目で戦い、ようやく復旧して、記憶を辿りに限りなく同じ原稿を書くという自傷行為のような作業を始めた矢先の来客であったということを加味していただくと、さらに滑稽なほどの悲壮感が伝わると思う。

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そんな私の元に、児童相談所から女性2人がやってきた。

世はコロナ渦だ。

緊急事態宣言が東京でも解除される運びとなり、ようやく日常に戻ろうとしたその矢先。ようやく子連れテレワークから解放される、あと一週間で保育園がはじまるという、耐えて耐えて耐え抜いて来た最後の最後の踏ん張りどころで「子供を虐待している」という疑惑を持たれたのだ。やってらんないよな。

来客は、突然だった。

昨夜は娘(ペン子ちゃん、2歳5ヶ月)の夜泣きがひどかった。

コロナで保育園が休園になって以来、ときおり夜泣きがあった。

ペン子ちゃんは保育園が大好き。先生もお友達も大好き。会えなくて寂しい。でも、まだ2歳だからどうして会えないのかわからない。

保育園では頑張れる規則正しい生活(お散歩、お昼ご飯、お昼寝、おやつ)も、なかなか時間通りにうまくいかない。

ママはお家にいるのに、仕事をしていて遊んでくれない。一緒に遊ぼうと言うと「ちょっと待ってね。ママ、お仕事してるの」の一点張りだ。

彼女もストレスが限界だった。

これまで寝たら起きない子だったので、夜泣きもこの子なりにストレスが溜まっているのだと親なりに受け止めていた。

ただ、うちの娘の声は、とてつもなくでかい。

特に泣き声ともなると、保育園のベテラン園長が

「ペン子ちゃんの泣き声に、先生たちみんな鼓膜が破れるかと思った(笑)こんなに声が大きい子初めて!肺活量がすごいのね〜。元気な証拠ですね(^^)」

と太鼓判を押される(?!)レベルの声の大きさ。

加えて、とてつもないお姫様気質かつ、超絶頑頑固者なので、手に負えない一面もあり、兎にも角にも、手がかかる子育てをしている。しかも、泣くも怒るも(喜ぶも)絶叫が前提なので声がでかすぎる。

というわけで、新生児時代から泣き声を危惧していた。

「たぶん、いつか虐待を疑われて通報される」は、冗談半分でずっと言ってきた。

そして、その日がきた。冗談では済まなかった。

今日は、私は在宅で仕事。娘はシッターさんと遊んでいた。平和な自粛期間の風景だ。

コロナ禍の影響で内閣府によるシッター助成を受けることができるようになったので、かぎりなく低い自己負担で、ベビーシッターさんを依頼することができる。我が家もその恩恵に預かって週何回かシッターさんにきていただいていた。

そんな折り、私は一度書いた記憶がある原稿をもう一度書くけど、再現できないという、実に精神の健康を持ってかれる作業をしていた。

それでも、1階から聞こえる、娘とシッターさんのおままごとのやりとりや笑い声はほのぼのしていて、幸せな今日だった。

しかし、それを切り裂くインターホンとともにやってきたのは、優しそうで穏やかな女性2人。

唐突だが、阿佐ヶ谷姉妹の「玄関を開けてたらいる人」というショートコントをご存じだろうか?あのネタの中に「市役所からきました」というバージョンがあるのだけど、まさにそれ。本当に柔和でお上品で、優しそうなおばさま2人が立ってこう言ったのだ。

「市役所から来ました」

家庭課から来たと言われてもなんのことかわからない。幼児がいる家へのただの家庭訪問かなと思った。

この時点の第一印象で「この家は虐待はない」と思ってくれたのだとは思う。

まず、娘が、ニッコニコで来客を喜んで、きゃっきゃ言いながら飛び跳ねて私の足にまとわりついた。するとアンパンマンのスモックを着たベビーシッターさんが後ろから現れ、微笑んで会釈をする。

2歳児は「ママしゃん、ゆうびんやさん?」と言って目を輝かせている。子供は顔色もよく、ふくよかだ。きれいな服を着ている。家は片付いているし、玄関は大量の幸せそうな家族写真と、娘が作った工作で彩られている。

ベビーシッターを雇うという丁寧な子育てをしている。母子2人ではなく他人を家に招き入れている。

容疑者の私も、捜査に気づかず、にっこにこで「どうぞ〜」とか言っている。

そして、児童相談所の方は、すごく申し訳なさそうに表題の言葉を言った。

「昨夜、遅い時間にお子さんの泣き声がしたと、心配した方から連絡がありました」

鈍い私、ようやく状況がわかる。

あ。虐待を疑われて通報されたんだと。

たしかに、昨夜はひどい夜泣きをした。22時から1時間くらいだろうか。でも匿名の通報では「20時から数時間」とか、なんだか盛られている。20時はまだ眠ってすらいないので、それはありえない。

児童相談所の2人の女性は、終始徹底して私を疑わなかった。

虐待という言葉も出したのは私の方だ。児相の女性たちは終始平謝りし「通報があった以上来なくてはいけないんです」「驚かせ、傷つけてしまいごめんなさい」と申し訳なさそうに繰り返した。

「お子様もストレスが溜まっている中の夜泣きで、お母さんも本当にお辛いと思います。しかもこんな通報を受けてしまっては、さらに追い詰めて傷ついてしまいますよね。ですからどうか、あまりお気になさらずに。お辛いことがあれば、なんでも相談に乗ります」という話を目に涙をためて語ってくれた。


これは一体、なんなんだろう。どういうことなんだろう。

今どういう気持ちでいればいいのか、それすらわからない。

疑惑を持たれ、かつ同情されている。

ぱっと見で、この家に虐待はないと判断したということは伝わった。

私は身の潔白を晴らすために「上がってください。服を脱がせますので、娘の体を見てください」と言った。

2人は、全力で首を横に振り「そんなことしません」と言った。

「お子様が元気に遊んでいる様子を見れば、愛情を持って育てていることはわかりますから」と言ってくれた。

ここでしびれを切らしたシッターさんが参戦。

「私からも話ます!!」と現れたシッターさんのアンパンマンのスモックがなんと頼もしいこと。

「何度も来ていますが、ペン子ちゃんは、絶対に虐待なんてされていません!ご両親から愛情をいっぱい受けて育っています。私は保育士歴10年以上、3年間ベビーシッターをしているので、虐待があるかどうかは家、親、子供を見ればすぐにわかります!2歳くらいの子の夜泣きは、赤ちゃんのそれよりずっと激しいんです。このご家庭は、本当にすばらしい子育てをしているのに、そんな通報で追い詰める人がいるなんて!私が証明します。信じてください」

と熱弁をふるってくれた。

ちなみにいうと、さすがに褒めすぎである。こっちはこっちでかなり盛ってる。

そんな中、後ろでは、絶叫しながらシルバニアファミリーの幼稚園バスを暴走させている娘。

魂抜けている金髪の母親。…そうだ。私はこのとき思い出した。

私は前日に髪を真っ金金に脱色していた。コロナのストレスで鬱憤が溜まっていたから、むしゃくしゃしてやったのだ。

そう。金髪に黒いTシャツにジーパンを履いて、すっぴんで、眉毛はない。

めっちゃヤンママ感ある。

自分の風貌が、居酒屋の小上がりで「うろちょろすんなよ!!」と子供に怒鳴り散らしているママに見えなくもない。

私の潔白のために奮闘するシッターさんの後ろで、思考が止まった私は

(私、なんでよりによって昨日、金髪にしたんだろ…)と本質とは全然関係ないことをぼんやりと考えているのだ。


ショック状態からようやく冷静さを取り戻した私は、なんかフツフツとさまざまな疑問を感じ始める。

そもそも誰が通報したの?

隣家のお菓子をくれる優しいおばあちゃん? 

それともペン子ちゃんをかわいいね。大きくなったねと毎日褒めてくれるお向かいのおばちゃん?

斜め向かいの家は良く泣く赤ちゃんと幼児がいる。

反対の斜めの家は、いつも元気に犬が吠えている。

きちんと挨拶しているし、いつも家の周りを娘と遊びまわっている。

パパとお出かけしているところもよく見ているはずだ。

それでも虐待を疑われてたの?

この件で私が一番ショックを受けたのは、この疑心暗鬼が生まれてしまったことだ。

人間不信になってしまうし、何よりご近所さんに対して「この人が通報したの?」と疑いの目で見てしまう自分が嫌だ。

泣き声がうるさいのは確かだ。それに関しては心から申し訳ないと思う。

ただ、対処できない。もし虐待だとしたら、子供を保護するとか、なんとかして虐待をやめさせるとか、解決へ向かう道がある。夜泣きは対処法がない。その時期がすぎるのを耐えて待つしかない。

もはや本人もどうして自分が泣いているかわかっていないし、覚えてすらないのだ。娘自身がどうやって泣き止むかわらなくて、そのパニックからさらに火がついて泣いてしまうのだろうなと、様子を見て、なんとなく察している。

「泣き止まないとき、どのように対処していますか?」と聞かれたが「対処なんてできません」と答えた。強いて言えば、コロナが収束し元の生活に戻れば、治るだろうと期待しているとも言った。

そして、こう思いの丈も伝えた。

「当然私たち大人は、虐待から子供を守らないといけないので、通報してくれた人の子供を守る気持ちは正しいですし、翌日すぐに来てくださる児童相談所の方々にも頭が下がります。

ただ、虐待をしている加害者も『虐待などしていない』と言うでしょう。私にも同じ言葉しかないので、身の潔白を言葉で示せないのがもどかしいです」


この時点の私は、頭に血が上っていたし、不快感マックスになっていたので、少し挑発的だったかもしれない。なぜなら目の前の2人は、私のことをまるで疑っていないのだ。

むしろ「夜泣きに追い詰められているのに、さらに追い討ちをかけられてしまったかわいそうな新米ママ。むしろあなたを救いたい」と思ってくれていることは、言動から見て明らかだった。

でも、2人も「あなたを疑っていない」ことを証明するのは無理なのだ。お互いもどかしい。

なんていうか、児童相談所、大変な仕事だな…と思った。

きっと、児童相談所への通報は、空振りが多いだろう。希望の空振りだ。しかし育児ノイローゼ状態の母親をさらに追い詰める役割にもなってしまう。泣き出す母親もいるだろう。怒る人もいるはずだ。その日を境に、さらに塞ぎ込み、虐待のきっかけになってしまったら? 義務とはいえ、ここではないどこかで暴力を受けている子供のためとはいえ、その役を買うのは、辛すぎる。

本当に虐待している家への訪問は怖いだろう。子供に暴力を振るうような狂った父親に、こんな穏やかそうな女性2人が対処できるはずがない。罵倒され、殴られるかもしれない。それでもそんな家こそ、即日子供を奪い取らないと子供の命が危ない。

じゃあ、強そうな男性職員が行くべき?

いや、それはダメだ。ほとんどが追い詰められ、悩める新米の母親なのだ。いきなり押しかけてくる見ず知らずの男性に、心が開けるわけがない。

じゃあ、女性の影に、男性が隠れている?

そこまでしていたら業務が進まない。肝心の本当の虐待を見逃してしまうかもしれない。

相次ぐ子供の虐待死に、児童相談所の対応のせいだ。もっと早く、もっと細かにやっていれば、子供の命は救えたのに!とよくやり玉にあう。

場合によっては、そういう問題点もあるのかもしれないが、そもそも虐待する親が悪い。

と、2人の女性を見ていて様々なことを思うのだ。

この人たちは何も悪くないのに、どうしてそんなに申し訳なさそうにしなきゃいけないんだろう。

もし、この家は大丈夫と引き下がった翌日、子供になにかあったらって、考えてるのかな。


だいたい、程度の差はあれ、子供は泣くよ。そのたびに通報されたら、たまったもんじゃない。

だから冒頭の言葉が心を支配する。

近所の方、うるさくして申し訳ない。児相の方々、わざわざありがとう。

でもさ、

やってらんないよ。


去り際、2人の女性は、私に優しい言葉をたくさん掛けてくれた。

「辛かったら、市の家庭支援や保健センターにいつでも連絡してください」と。

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そして2人が去ったあと、ベビーシッターさんにめちゃくちゃ慰められた。シッターさんも私たち家族を大好きでいてくれているので、この光景はショックだったはずだ。


こんな現場に居合わすことになったのは申し訳ないが、シッターさんおかげで正気を保っていたというのもあるし、加勢してくれて嬉しかった。それに、存在そのものが、虐待していないという何より証拠に映っただろう。

「梢さんご夫婦の、おおらかで自由な子育てが、私は本当に大好きです」

と言ってくれた。

おおらかで自由というのは、“屈強すぎる意志を持ち、頑固者かつ、地雷だらけの娘を育てるにあたって、本人の希望を優先する以外の方法で生活できない”という慎重に慎重を極めた苦肉の結論なので、褒めてもらっても、苦笑いしかできないのだけれど。


私は思わず呟いた。

「なんていうか、虐待されてるとしたらむしろ私ですよね!ペン子ちゃんの傍若無人っぷりがやばすぎます…。何をしたらキレるかわからないので、一日中ヒヤヒヤしながらご機嫌お伺い続けてるんですけど…」

と言ったら、大笑いしてくれた。笑うということは、シッターさんも我が家のぷりんしぇしゅこと女帝のお世話に大奮闘してくれているということ。仲間が多いのは楽しい。

「今日のことは、10年後、笑い話になりますよ」

と言ってくれた。

大丈夫よ。翌日にはこうして記事のネタにしているから。この仕事でよかった。


あと、私は割とタフで気が強いので、くよくよメソメソはしない。好奇心旺盛ということもあり、「すごい興味深い貴重な体験をした」というのが一番の感想。落ち込んでいないから安心してね。


でも、なにより、

一番ダメージを食らっていない理由は、本当に一切、虐待を疑われなかったからだと思う。

これを疑われていたら、泣いてたし怒ってたかも。


ただね、1つだけ引っかかっていることがある。

虐待を疑って子供を助けようとした正義の通報ではなく、

うるさいことに対して嫌がらせの悪意の通報かもしれないってこと。

なんとなくその可能性を感じていて、それがずっとちらついていたからモヤモヤしているっていうのもある。

でも、その真相はわからないから、考えすぎても仕方のないことだ。


ちなみに演技派のペン子ちゃん。夜泣きは泣いているだけだからまだ良いとして、昼間ふざけてはしゃぐときは

「だーれーかーーたすけてーーー!!!」と叫ぶ。なんなら外に向かって叫ぶ。

しばらくは、本当にやめて…お願いします…。

もう少し知恵がついたら、シンデレラみたいにいじめられている娘を演じそうで恐ろしい。

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いつでも、痛ましい事件を見るたびに「児童虐待がなくなりますように」と願って祈っているけど、やはりそれは安全な場所から見ているだけだったのだ。

こうしてはじめて、自分の近くにこの恐ろしい言葉が、ぐっと迫って来た。児童相談所なんて、本当に私には無縁だと思っていた。


コロナのストレスで虐待やDVが増えているというニュースを目にする。

そもそもそれに引き起こされた夜泣きだし、だからこそ心配しての通報かもしれないし、悪意だった場合は鬱憤が溜まっていたのかもしれない。


子供の命を守りたいのは、私も、あなたもみんな同じ。これを機会に自治体の家庭支援について色々学ぼう。

この時期をすぎたら「うちの娘なんて、夜泣きで通報されちゃったんだから」と若いママを励ます豪快なおばちゃんになろう。

子育ての支援ボランティアもできるかもしれない。だって、ペン子ちゃんを育て上げたいつかの私は、屈強な精神力が身についているはずだし、たぶんよそのお子さんに対して「なんて聞き分けの良い子なんでしょう〜!!」と思える自信がある。

娘の泣き声が大きすぎるせいで、すごいきっかけを得てしまった。


そして私と SNSを通じて出会った人たち。

児相の方が「これからももし通報が続けば、毎回来なくてはいけないきまりなんです」と申し訳なさそうに言っていた。

だからみなさんに、「我が家に虐待はない」という証人として参戦をお願いしたいほどよ。

きっと我が家が平和で(平和ではない)、楽しい(楽しい)、愛情いっぱいの子育てをしていること、皆さんに伝わっているでしょう?

だから変わらず、生ぬるい目で見守っていてね。

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※ちなみに、無事に原稿は書き直しました。途中に児相事件が起きたせいなのか違うものが書きあがった。

現場からは以上です。






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