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【広島4コマ】平和大通りと、“ドリミネーション”



イラスト担当のかわずです。

広島市中心部には「平和大通り」と呼ばれる全長約4kmの大きな通りがあります。道路の幅はなんと100m。そのため「100メーター道路」なんて愛称もついています。

戦後復興の中で各都市、車社会への対応や防災等の目的で広く大きな100メーター道路の建設が計画されるも、結局正式に完成したのは広島と名古屋の2ヶ所のみなのだとか。

そんな平和大通りは、ただ通行するだけでなくさまざまなイベントの舞台となり、市民に親しまれています。


毎年冬に開催される「ひろしまドリミネーション」

全国各地で冬に開催されるイルミネーションイベント。広島ではこの「平和大通り」で冬の11月から1月まで「ひろしまドリミネーション」が開催されます。

100メーター幅の道の両側に備えられた広い広い歩道、緑地帯に「おとぎの国」をテーマにした多種多様なオブジェが並ぶイベント。2002年の本格的な開始から広島の冬の風物時としてすっかりお馴染みとなりました。

長い長い大通りの歩道に所狭しと、まるで夢の国にでも来たかのような多種多様なオブジェが並んでいるので、歩いているとさながらテーマパークに来たかのような気分にすらなってしまいます(広島市近辺に遊園地はないもんなぁ・・・)。


「イベント」「パレード」でもお馴染みの道路

冬がイルミネーションイベントなら、ゴールデンウィークにはこの通り一帯で「ひろしまフラワーフェスティバル」が開催されます。

期間中、通りは歩行者天国となり、各団体によるパレードも盛大に開かれ、地元企業のブースやステージ、屋台などが立ち並ぶ、広島を代表するイベントです。

必然的に、広島で活動する歌手やタレントが一堂に会するイベントでもある。

そもそも「パレード」は平和大通りにとって、切っても切れない関係なのです。1975年のカープ初優勝時に開催された優勝パレードには約30万人が詰めかけ、これがきっかけで当時の広島には無かった市民参加型の大規模イベント「フラワーフェスティバル」は誕生しました。

その後しばらく平和大通りでの優勝パレードは行われなくなったものの、
2012年にJリーグ、サンフレッチェ広島が初の年間優勝を果たした際には前述のカープ優勝パレード以来37年ぶりに平和大通りでの優勝パレードが開催され、2016年に25年ぶりのセ・リーグ優勝を果たしたカープも、初優勝以来の平和大通りパレードを41年ぶりに開催。その後も優勝の際にはパレードが開催されるようになり、平和大通り=パレードのイメージも以前より定着してきました。


また、NHKで全国中継される毎年1月の「都道府県対抗男子駅伝」ではこの「平和大通り」がスタート・フィニッシュ地点となります。戦後、長い歴史の中で開催された多くのイベントを通して広島市民に親しまれる「平和の街」を体現するメイン道路となったのです。


平和大通りに続く比治山と、原爆との関係

そんな平和大通りの東側には「比治山」があります。山といっても標高70メートルほどなので「丘」と言った方が自然かもしれません。

美術館付近には、現代彫刻アートも点在

一帯は「比治山公園」として整備され、現代美術館や放射線の研究所、ラジオの電波塔、漫画専門の図書館などもあり、春にはが咲きほこる市民の憩いの空間として長年に渡って親しまれています。そしてこの比治山には1993年にトンネルが貫通しており、これにより広島の交通の大動脈、国道2号線から平和大通りへのアクセスが格段に良くなりました。

航空写真を見るとわかりやすいですが、比治山は広島市中心部を背にするように南北に伸びる山です。そのため1945年8月の原爆投下時は、この比治山が影となり爆風から町を守った・・・という記録があり、今でも語り継がれています。

広島出身のある歌手が、それこそ広島出身のテクノポップユニットが司会を務める音楽番組にゲスト出演した際、3人が比治山近くのスクールでレッスンを受けていた話から先ほど述べた比治山トンネルの話題を持ち出し「あの比治山に、なんでトンネルを掘ったのか当時理解できなかった」と話していた気がしますが、もしかするとこのような歴史が背景にあったからなのかもしれません・・・(彼自身も被爆2世ですし

平和大通り比治山、どちらも広島の街を象徴するスポットなので、ぜひ注目してみてください。


過去の広島4コマ作品はpixivで全て読めます。ぜひどうぞ!↓

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