私が世界と出会ったとき

日野啓三は、
「私が世界と出会ったとき、そして世界が私と出会ったとき、つまり私と世界が共に誕生日したときのことを」(『台風の眼』)覚えている。
彼は、不意のサイレンとともに、時間の観念と、家族と自分の存在を意識する。
そのサイレンを、「天地の始まりの天使のラッパのようなものだった」と書いている。

私は、この一連の文章に衝撃を受け、感動し、とても羨ましく思った。

私は生き続けてきたけれど、
私が世界と自分自身の存在を意識した時が、
私の本当に生まれた瞬間なのだ。
日野はそれを「受胎」と呼んだ。

私の一番古い記憶は幼稚園の頃だ。
その記憶も写真を見て思い出すにしかすぎない。
私にもあっただろうその瞬間を、
明瞭に意識し書き留めた彼を、
とても羨ましく思う。

私が世界と出会ったとき、
私は何を感じたのだろう。

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