人間って、案外カンタンには死なないんだな~入院編~

朝の10時頃に入って、手術室から出て来たのは、17時近かったらしい。

しかも、当時の私の身体状況は最悪で、お腹の中で複数の穴が開いた結果、腹膜炎を起こしてしまって、敗血症にもなっていたらしい。

『あと2~3日遅かったら、敗血性ショックで生きてなかったかもしれない』、『最善の処置は尽くしたが、2~3日は覚悟して下さい』と、外科の主治医は家族に言っていたらしい。

手術の後に、家族と少しだけ面会できる時間もあったらしいが、先に内科の主治医が来て、その後に家族と会えたが、私にはその記憶が残っていなかった。

術後も、しばらくは朦朧とした意識のままで、手術前から術後3~4日くらいの記憶がすっぽりと抜けたままだった。

入院のきっかけ

私は、2年ほど前から体調を崩していた。それまでは会社員で働いていたが、少しずつ体調を崩しながらも、それには見て見ないフリをしていた。仕事に夢中になってしまう、昔からの私の悪い癖だったと思う。

定期受診はして薬の服用もしていたが、年明けと共に体調を崩しながらも、ごまかして働いていたが、それも破綻するのは端から分かっていたし、仕事とプライベートと病気を両立する方法を模索していた途中だった。

私が一番悪かったのは、生粋のワーカホリックであり、八方塞がりになってからじゃないと、周囲にSOSも出せないところだった。もちろん、総てをそつなくこなせるほど、器用な人間ではない。

私の病気

私は国が難病指定している、「ベーチェット病の腸管型」を患って、10年以上が経つ。ベーチェット病と聞くと、公表している芸能人やスポーツ選手、ベーチェット病を題材にした映画やドラマまであるが、ベーチェット病の厄介なところは、患者によって症状が事細かに違う部分である。

それでいつも思うのは、『映画やドラマのような美談ではない』ということである。現実はもっと残酷で奇なり・・・。

私の症状は腸の中に繰り返し出来てしまう、潰瘍に悩まされて、時にはその潰瘍から出血をして、下血をすることもあった。

いつも入院するときは、絶食して点滴から栄養を摂る状態のまま、ベッドの上で絶対安静にして、ステロイドを大量に使う治療が始まる。ステロイドを増やしてしまうと、決まった場所でしか行動できないし、しばらく退院も出来ないまま3ヶ月近くは、病院のベッドの上で過ごすことになる。

発症して15年近くは経つが、その間にも何度も入院して、治療を行なってみたり、他の薬や免疫抑制剤も試して、主治医と二人三脚で、手探りの状態だった。

このベーチェット病は、症状が出ていないで調子の良い『寛解期』かんかいきと、症状が出て調子の悪い『活動期』かつどうきの繰り返しであるが、私は長年のステロイドの治療で、主治医も頭を抱えるほどの難治性だったらしい。

今回に入院も、高熱が出て体調を崩して、予約外で病院に行って、そのまま即入院となってしまった。

炎症を表わす炎症反応や白血球の数値も、相当高かったためか抗生物質の点滴を打ちながら、高熱には解熱剤で対処するしかない。

消化器内科を受診した上で、大腸カメラの検査をして、案の定大腸と小腸の広範囲にわたって、口内炎を親指の第一関節まで大きくした潰瘍が見つかって、結局はその潰瘍から出血が起きていたらしい。

一般的な腸管型だと、大腸と小腸のつなぎ目にある、回盲部かいもうぶに潰瘍が出来るのだが、私の場合は直腸から小腸の奥まで、潰瘍が形成されてしまっていたのだった。

大腸カメラの検査の結果で、今まで1日ステロイドを10ミリ服用していたが、1日に服用するステロイドが、呆気なく60ミリに増量された。

ステロイドは減らすときは、長時間をかけて少しずつ減らさないとならないが、増やすときは本当に呆気ない。今まで慣れていることとは言え、仕事のことを考えると、長期離脱は確定だったし、自分の危機管理が出来てなかったのも加えて、相当ショックだった。

ステロイドの副作用

ステロイドを大量に使う治療をすると、ステロイド自体はどんな病気にも効く『魔法のクスリ』だが、それ故に副作用も多い。

免疫機能が強力に抑制されて、普通の人が感染しても重篤化じゅうとくかしないような細菌に感染してしまう。糖尿病になったり、骨粗鬆症になったり、緑内障や白内障、一番厄介なのが筋力の低下と精神的な不安定と不眠だ。

普通の体の人の中に細菌でも、簡単にその細菌が暴動してしまって、帯状疱疹やカンジタ症などの『日和見感染』ひよりみかんせんとなってしまう。

ここに書いたのは、私が経験した副作用であって、必ず起きるわけではないが、ここまで副作用が増えてくると、病気の治療か副作用の治療かが分からなくなってきてしまう。

ステロイドの減量もそうだが、ステロイドの副作用も、今では笑って済ませるくらいまでには、メンタル的にも成長したと思う。

一喜一憂していた、初期が懐かしくも感じるのだった・・・。

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