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人間って、案外カンタンには死なないんだな~自覚し始める時期~

お腹に付いている異物

手術に成功して、ストーマのフランジ交換も自分で出来るようになって来たが、ふとした時に傷口に痛みが走る時がある。

そんな時にパジャマの上からお腹を触ると、パジャマの下には、小さい梅干しの様な突起物が触れる。

そんな事を考えるのは、部屋の中で1人っきりになった時か、夜中の眠れない時で、もれなく私の情緒不安定タイムでもある。

まだ飲み薬も飲めなかった私は、全てが点滴から摂取していた。夜中に眠れなくなると、看護師さんに点滴で睡眠薬を入れて貰うが、眠れないままウトウトして、朝になる事が多かった。

それに、看護師さんが夜勤で交代するタイミングで、ストーマの状態やストーマからの廃液の状態を見に来るから、それでも目が覚めてしまう。

そんな眠れない夜は色々と考えてしまう。今回の入院では、今まで難病患者をやって来た歴史の中で、一番シビアで内容の濃い入院だったとは思う。

「あの時の内科の主治医の言った通りになっちゃった…」と、夜中に遥か昔の主治医が、「酷い人はお腹に穴が開くからね」との話を思い出して、泣いてしまう。

色んな人の言葉に過剰に反応して、落ち込んで泣いてしまうし、自分の出来ない事の多さに辟易|《へきえき》して、泣いてしまう。

これが女の〝厄年″なのか

今までは人前で泣く事も出来なかった。いつもは1人になった時に、隠れて泣くだけだった。

その当時は、歳のせいで涙腺が緩くなってしまったのか、喜怒哀楽の涙が人前でも多くなった。

何かが出来るようになってうれし涙、誰かの言葉に腹が立って悔し涙、何でも解っている様な態度に悲しくなって悲し涙、楽しみが増えて嬉し涙…。

どんな涙でも、人前でも思い出して泣いてしまう。一番戸惑ったのは、内科の主治医ではないかと思う。内科の主治医は、私の泣き顔を今まで一度も見た事がなかったからだ。

今の状況を受け入れる事や、これから生きていく上での不安もたくさんある。

『いつになったら、内科に戻れるか?』

『いつになったら、退院が出来るのか?』

『退院しても、自分でフランジ交換は出来るのだろうか?』

『この先、どんな制限の中で生きて、どんなリスクが出て来るのか?』

『仕事や金銭面、療養期間はどうしようか?』

どんなに考えても、漠然とした不安と焦りだけで、押し潰されそうになる。今の状態で漠然と考えても、答えなんて見つかるはずもないのは分かっているのに…。

そんな私を見ても、内科の主治医は寄り添ってくれる。その優しさにも泣いてしまう。

コロナ渦で家族や友達にも会えない。

朝起きて朝ご飯を食べて、点滴を繋げて作業療法のリハビリに行って、昼ご飯を食べて、理学療法のリハビリに行って、帰りにコンビニに寄ってライフラインを確保して、病室に戻ってからは晩ご飯までは、YouTube動画を見て、晩ご飯を食べたらテレビを観て、1日が終わる。

同じ毎日の繰り返しは、今までの長い病人生活の中で、入院も数10回していて慣れているはずなのに、今回ばかりはこんなに大変だとは思わなかった。

女の厄年は33歳が『散々な目に合う』と言われているが、『隠れ37歳』の厄年も、侮ってはいけないと身をもって知ったのだった。

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