地球の空気に触れた日
私は本日の夕方辺り、この世界の空気を吸おうと外へ出ました。
私は、まだまだ待ちたかったらしいのですが、もうこの時、大気に触れる予定を2日もオーバーしていて、とても待っていられないようでした。
生まれた場所は醤油の香りが漂う街。
小さな頃から自然が好きでした。高い山々に憧れました。透き通る川に憧れました。
しかし、近くにそれらは無く、かわりに野原と小さな森と大きな公園の自然が私に色々な事を教えてくれました。
本を沢山読みました。私の祖母は父方も母方も揃って本好きでした。
父方の祖母は『宮沢賢治』を教え、母方の祖母は『灰谷健次郎』と『相田みつを』を私に教えました。
父方の祖母と『朗読劇』を見て、母方の祖母と『相田みつを展』に行き、私は取り憑かれたように本を読み漁りました。
そもそも、何故か本は幼稚園生の頃から好きで、暗い廊下で読んでいました。目が悪くなると叱られながら。今、目は…かなり悪いです。
算数、数学は嫌いです。正しい答えが嫌いです。『1+1本当に2なのか?』と考える私を否定するから嫌いです。
計算がとにかく遅い子だった私は、今も計算式を見せられると心拍数が上がってしまいます。
心が粉々に砕け壊れるギリギリを生きていた時も、私は心から私を憎む事はありませんでした。
だから、自分の理想の終わらせ方に夢を見ながら、生き延びてきました。
『なにか他の人と違う』と違和感を持ち生き続けていました。周りの友達や、親族の中に、私が欲しい答えを持つ人はいませんでした。
恩師がいる人を羨ましいと思った事もあります。
幼い私は『尊敬』を抱けず、しかし、それを渇望していたのだと、今は思います。
生身の人間から、言葉をもらい胸震える事は素晴らしく幸運な事なのです。
私に言葉をくれるのは本でした。
本の中にだけ、私が心震える言葉があるのです。
よく考えてみれば、その言葉は生身の人間から生まれ文字に落とされているのですが、私は物語の中にしかないのだと長い事憂いていました。
こんなことを言うと、私が偉ぶっているように聞こえるかもしれませんが、私は偉人の名言や考え方を読むといくつかに対して「あ、私もそれ知ってる。考えたことあるもん。」と思うことがあります。
素直に同じ事を考えていたのが嬉しくなり、他人に言いますと「自分が特別だって言いたいわけ?」と言われてしまいます。
特別?
いいえ。私は辿り着いただけです。その道を歩けばきっと、誰しも辿り着く答えに、私は人より早めについただけです。
自然と共に生きたいのに、人間であることの窮屈さを感じます。
何時も何処かへかえりたい気持ちを持ちます。
色々な事を考え、調べ、知れば知るほど、疑問は湧き、違和感は増え、今もそれは続いています。
大人になって、世界は広くて、私のような考えの人達が存在することを知ります。
しかし、何故か出会えない。生身で会ったことが無い。
私は何かを思い出したように独り言をいいました。
「あぁ、私、何も無い状態を知る為にこの縁を選んだのね」
私は地球であとどれくらいの期間、肉体を保っていられるでしょう。
肉体が老いて、枯れることを望むなら、私は私の肉体を静かに枯れさせてやりたいのです。
体は地球に借りているのですから、返したいと考えますが、こんな添加物まみれのモノを返すわけにはいかないか…と少し悲しく思います。
きっと私は私のまま。
年齢的にはあまり空想や想像の世界に生きない『いい大人』です。こうした媒体にはいるけれど、生身の世界では中々いないタイプなのでは?と思います。
だから何とも違和感で、窮屈で。でも楽しくもあって、素晴らしくもある。
私、地球が好きなんです。
人間は好きで苦手。
これからも、可能な限り、私は私を書いていこうと思います。
ここまで読んでくれて有難う。
変な奴だなと思いました?笑
それとも、わかる。ってなりました?
あなたがどんな人か、私は知らないままかもしれないけれど、それでも。このページを開いて読んでくれたあなたが、あなたらしい幸せの中にいますようにと思います。
そして、また、別の記事でも会えたらいいなぁと思います。
サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。