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頑張って『そうじゃない』と思い込む事はしない。


『思考が暗いと暗くなるから、明るい方に考えていきましょう』
という指南の多いこと、多いこと。

それは、いいことだとは思う。

それがマッチすることもある。

でも、それに引っ張られ過ぎてる人は見てて気持ち悪いし、無理やり頑張ってるのをみると疲れる。


私は今の私が『嫌いだと思うものは嫌い』だし『駄目だと思うものは駄目』なのだ。


なんで、わざわざ、明るく納得しなきゃならんのさ。

明るく思ったらかるくなるって?
へへへ。
そんな単純なことある?


蹲ったまま、暗闇にとらわれることを、いいことだとは思わない。

けれど、癒えていない段階で、傷を見ながら前を向いて歩くことも、いいことだとは思わない。


精神的に休まなきゃいけない人が多いのに、なぜか、安心の暗い巣穴から引っ張り出そうとする。

無理やり瘡蓋にさせて、ほら、よくなるよと手を引っ張る人は多い。

だから、精神的に休まなきゃいけない人は、何処か焦って、巣穴でジッとして、癒えるのを待てないのだ。


痛みからくる怨嗟の唸りを、聴きたくないのはわかるけど、本当はそれを聴き流して、落ち着いた頃に、一緒に外に出たほうがいいんだと思う。


私は本能的に、実家を出たのだと思う。
あそこで休まる気がしなかった。
無理やり動いてしまったから、世間からすればなんてことない傷の化膿は酷く、なおすのに何年もついやす羽目になった。

私の受けた傷なんて1年じっくり、安心の巣穴で休めば良かったものだと今は思う。
そこから、外に出るリハビリが出来ていたら、違っただろう。

数年は無駄にしたし、今も何処か不自由に引き攣れる傷跡がある。


そんな環境でも、そんな状態でも、それを選べて良かったじゃないか、充分恵まれていると、外の明るさは貼り付けたような笑顔で言うが、良かったわけないじゃないか。


他のもっと、大変な人がいるのは事実。
けれど、だからって、自分におきたことが帳消しになるわけではない。


比べて、消そうだなんて、おかしな話だと思ったりする。
比べるのが嫌いな人でも、何故かこういう事は比べてなんとかしようとしているのを見かける。


簡単だけど、それで傷が癒えるわけじゃないよ。


私はたくさんの事を考えて、たくさんの事を想って、たまに思い出すけど、まぁいっか。と出来るくらい忘れてきただけで、忘れる努力をしたわけでも、明るくなる努力をしたわけでもない。

ましてや、今まで起きた事を『それでもその事があったからこうなったのだ。だから、良かった』だの思うこともない。
良くないことはあったのだ。良くない形だったのだ。本当に、今思い出しても苛立つような日々が確かにあった。でも、月日は流れた。

ただそれだけでしかない。


納得の仕方は色々あると思う。


私は『恨んでるものは恨むのに飽きるまで恨みっぱなし』にするし『感謝できないものにはとことん感謝しない』し『明るければ何でもいいとは思わないので、たまにとんでもない暗闇で怨嗟の言葉を吐いてみる』こともする。


まずは、そんな、自分を許せ。

そして、そんな自分で、窮屈だなー、面白くないなー、ちょっと変えてみよっかなーって思ったら、明るい方に遊びに行ってみたらよろしいのである。そうならない時は、暗い方に遊びに行くのである。


自分が『そうだ』と思うことを許せ。

話はそれから。



明るい方に手を差し伸べてくれる人が悪いんじゃないけど、世の中、焦らせてくるよなぁと、今は瘡蓋もとれて傷跡になっただけの私は思うことがある。

明るい方に引っ張ろうとしてくれた人に、手当たりしだいに唸って噛み付いていた私は、本能的だったなぁと苦笑いする。


あの人たちは、あの人たちで正しかった。
私の行動は、私の中で正しかった。


そして、私は私を選んだ
ただそれだけだ。

私が経験したのが明るい方の引っ張りだったので、明るい方の話をしたが、暗い方もおなじ。

とりあえず、手を引っ張ってくれようとする奴らの中に、傷を酷くするつもりはなくても、酷くなる事があるってこと。

だから
世間が、世界が『いいことだよ』って言ってきても、自分が『なんか、なんか……』ってなるなら、それはいいことじゃないから、一旦突き放してもいいよ。

それで、それでもめげずに来てくれる手とか、どこかで引っかかったりしたとかあれば、引っ張られてみたらいいんじゃないかな。


私はそう思う。





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