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道具を上手に使う人は頭がいいので、それは任せる。


道具を上手に使い、新たなものを生み出す人というのは頭がいいと、私は思っている。

だから、そういうのは、任せて

頭のネジも溶けてるレベルの私は、自由に遊んでおこうと思う。

今だって「上手」が「じょーず」でサメ映画になりつつある。
ここから、何か繋がらせたり、また組み直したりするのは頭のいい人がやったらよくて、私はサメのヒレに掴まってジェットスキーで楽しむように、海上を爆走する。
サメはもちろん驚き顔である。
なにが、「もちろん」なのか解らないだろう?
私も、わかっていない。

そもそも、「サメ映画になりつつある」とはどういう事なの?と、思う方が大半ではないだろうか。


考えるな、感じろ。


koedananafusiの世界は地球の法則をちょっと齧った程度の宇宙人文書なんだから、そんな、文法とか助詞とか動詞とか、関係ない域にある。


沢山の語彙があれば、表現の幅は広がるでしょう。
でも、形に出来てしまえば、形になってしまうでしょ?

形に出来る人は人間社会の構成に必要で、それはとても素晴らしいことだと思います。

が、

私の庭は無法地帯がいい。



「あつい」
涼しい車両のドアから1歩足を踏み出した私は、靴底が溶けるのではと思わず、慌てて足を引っ込めた。
もちろん、そのような事はおきないのだが、むせ返るような熱気が肌全体を舐めている。
恐る恐る両足を踏みしめ周囲を見渡す。
蝉の声、青い空、もくもくと湧く入道雲。
そして大声で檄を飛ばす演説者のような、太陽。
線路際の向日葵でさえ、太陽の方を向けず少し俯いている。
『わかるよ、いくら太陽は太陽だっ!って正しい主張でも、暑すぎて、嫌になってくる事あるよね。』
と、私も太陽から顔をそむけた。
これが、『あつい』ということかと、私はじわじわと熱を放つコンクリートの足元を憎々しげに見つめたのだった。
熱すぎるのは苦手だ。
だから、暑すぎるのも苦手だ。


はぁー
マンボウ。

諦める事も一苦労な事で
出来ることをやっていこうとすると
出来ることが諦めることだったりする場合もある。


ケムパモッケの詩にもあったように
「諦らめて漂い辿り着く」こともある。
しかし、人はそれを解ろうとする時、不安になってしまうものだから、少しずつ解っていくといい。

『ケムパモッケの詩ってなに?!』


私の好きな妖怪は『パッケらモッチ
私の好きな詩は『ケムパモッケの詩』

くっ……パッケらモッチに引き続き、謎を生み出してしまった………。
パッケらモッチが何か?というのは文字に埋め込みし記事に飛んでください。
#なんのはなしですか
を使う以前から
koedananafusiはkoedananafusiなのだ。

このような生命体に「(カッチこちに凝り固まった)常識」「(他人を貶める為の)学歴」「(視野の大変狭い)正しい表現の仕方」などを説いても意味がない。


この場においては、読者諸君はアリスであるべきであり、ここは不思議の国であるわけだから、ティーカップを半分こして時計にジャムを塗りたくって、ティータイムを楽しもうじゃないか。


どうせ夢から醒めるのなら
夢の世界は遊び倒したほうがいい。


いや、ほんとなにこれ。


毎日暑いですね。
蝉が鳴く時間が短いほど。
蝉の恋が短期決戦。
熱い戦いがそこにはあるのか?!
人間の皆様、また、熱に弱い皆様、熱中症には気をつけてお過ごしください。

 
*ヘッダーにお借りした蝉と「なつ」の文字がかわいいのがこの記事の見所です。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。