賛否両論あるけれど、たまには、こういうことがあってもいいと私は思う
ヘッダーは今は亡きムムのシャンプー中の写真。
私は彼の15年を無事見つめ終える事が出来た。
しかし、全員が全員、それが出来るとは思わない。
動物と暮らすのには覚悟がいるけれど、覚悟していたって、どうしようもなくなる時はあると思うんだ。
いつだって、誰だって、おこりうる。
もちろん、それも予測して準備している飼い主さんがいる事もしっている。
それが出来なくて、こんなふうに手放した時、こうやって救いの手がやって来る事が、たまにあってもいいとおもうんだ。
こうやって、救われることがあってもいいと、私は思うんだよ。
これを読んで、どんな視点を持つかなんだ。
私は考える時、私の反対側や、右側、左側、上下、とにかくいろいろな方向の事を考える。
大体の方面からの言葉や態度を、想像する。
それに対して、自分はどう思うのか、何を感じるのか、どうしたいのか、考える。
たいてい答は一つにならない。
けれど気持ちは決まる。
何かを目にしたり、触ったり。
思ったり、考えたり。
その時『何が正解か、不正解か』より
『自分の心はどの気を持ちたいか』を大切にしたい。
自分が持つ気が、気持ち。
そしてそれが元の気。元気につながるのだと思う。
本当は貼り付けた記事に対して、私の脳内のあれこれを書いていたのだけれど、まとまらなくなってしまったのでやめた。
人間の世界は面倒なことがおおい。
それでも、その面倒な世界の中で、幸せを感じることが多いほうがいい。
と私は思う。
『怒ったり、責めるのは、簡単なんだ。
でも、それは嫌なんだよ。』
最短の最善じゃなくていい。
そんなこと思ったのは確か。
サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。