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それでも➁

前回の続き

本題に入る前に。大人になってから考えると、私は恵まれた方かなと思う事も多々ある。世の中は広くて、上も下も見たらキリがない。
それでも、当時の私は必死だったという事を書いていこうと思う。


専門学校はペットの専門。
はじめの一年はシェアルームのような場所だった。私の他に3人。年齢はバラバラ。

楽しかった。嫌な事もあったけれど、犬が好きだった私にとって、毎日犬と過ごせる学校は楽しかった。
2年生になった時、本当に1人暮らしになった。早生まれで1年出来なかったバイトもはじめた。

それなり。中学校の時は上手く笑えない事が多かったが、専門ではそれなりに笑って過ごせた。

よく「逃げろ」というのをみかける。イジメ、虐待、パワハラ、セクハラ…色々な理由があって心にダメージを負った時は逃げなさいと。
私はきちんと「逃げた」
ただ、私は馬鹿だったのだ。どうしようもない、馬鹿だった。

私は、高校を受ける気がなかったから何も調べなかったし、そういう話をする友達がいなかったし、塾に行かなかったから知らなかった。ずっと「偏差値」ってモノがよく解っていなかった(本当に解っていなかった。というか、世の中の事がほぼ抜けてる子だった)

それと同じで、受ける気云々じゃなくて「就活」というものがよく解っていなかった。バイトの面接と何が違うの?ってくらい解っていなかった。そして、それを誰に相談するでもなく時は過ぎた。
私の中にあるのは「実家には戻りたくない。死んでも戻らない」という強い思いだけ。

何とか、ペットショップのパートに就職してアパートを借りて住み始めた。
私は人間関係で生まれる負の感情を上手に処理できなかった。
本来なら、中学生の時に心療内科なり、精神科なり行くべきだったと今は思う。
でも、それはしなかった。
ギリギリの生活費。当時、同棲もしていたけれど何と言うか張り合いのない相手だった(恋愛も散々だったがそれはまた別の時に書こう…)

私は1年経たずにパートを辞めた。
その後は出来そうな仕事をバイトとして片っ端からやった。
車の免許が欲しくて、時給のいい派遣で仕事をしたりした(教習所が恐くて免許は取れなかったけど)
私はハッキリ物申すので、管理職と激突する事が多かった。だって理不尽。でも世の中ってそういうもの。当時の私は我慢できなかった。許せなかった。
でも、小娘の綺麗事なんて鼻で笑われて終わる。
あとは、チクチクいじめられるだけだった。

どんな時も私を支えるのは「実家には帰りたくない」という気持ちだけだった。
心療内科などにかかれば、家に連れ戻されてしまうかもしれない。倒れたら家に連れ戻されてしまうかもしれない。
だから、私は病院には行かない(我ながらタフな体を持ったと思う)
そう決意していた。馬鹿だ。でも、それしか私にはなかった。戦う方法がもっとあるのに、私は馬鹿みたいに「とにかくがんばる」しかなかった。

ネットに友達がいる。現実にもいる。親じゃなくても、助けてくれる人達がいる。
私はそれを解りはじめていた。
すると、今度は『私が1人暮らしをしているのも、貧乏なのも、仕事ができないのも、馬鹿なのも私のせい。私がやりたい事をやっている責任は背負わなければ。そのことで、誰かを頼りたいなんて卑怯だ。そんな迷惑はかけられない』という気持ちが湧いた。

頑張れば、頑張るほど心が疲弊した。市役所で年金の支払い免除を受けたりしながら何とか生きていた。何回か「倒れてみようか?そのまま終わったらラッキー」と思ったことがある。私は倒れた事はなかった。風邪もほぼひかないし、怪我もしなかった。良い事だと思う。なのに当時はそれが恨めしくて仕方なかった。

『彼氏』って名前の人なら、頼ってもいいかと思っていたから、好きでもないのに好きだと思いこんで付き合ってみたり、知らない人とあってみたりもしたなぁ………結果は散々。

ある年とうとう、心療内科に行った。このままでは駄目だ。治療してよくなろう!と私は思った。
なんの役にもたたなかった。

先生は薬だけくれた。
病名も解らない。ただ薬だけくれた。聞けば教えてくれたかもしれないが、私には話す気力がなかった。
「病院も頼れないか」と思った。ある日、雨に打たれながら「もう、いいかー」と不思議とスッキリ諦めた日がある。その時から病院には行かなくなった。

調剤薬局の、お兄さんは好きだったなぁ。
何気ない会話をしてくれるから。

明日の家賃も払えないほど、お金が底をつくころ私はケーキ屋さんになった。
ほぼ飛び込みで面接に行ったら、即採用してもらえた。

そこは無駄にアットホームな職場で、私は何とケーキが苦手で(生クリームで気持ち悪くなる)12時間半も労働していて、なんか…人によってはブラックだと思う。
でも、私には居心地がよかった。嫌な事もあったけど、前みたいに逃げたいとは思わなかった。
正社員だったし。

そこで落ち着いて7年。………私は今までの傷を癒やすのに7年使った。
10代のときに出来なかった事などした。

…うん。この7年、もっとお金を貯めるべきだった。あと、もっと世界を知るべきだった。

結婚して夫の転職についていき、退職して、また職を転々としている。
夫にはもうしわけない。いや、ほんとう。

とにかく、こうして、今の私に至るわけだ。
とにかく人間関係は辛かったし、今も恐い時がある。基本人は好きだ。でも、私が好きでも相手がそうかはわからないし、相手の攻撃を喰らえば多少は処置出来ても傷はつく。
大声で痛い、痛いと喚かないだけで、ぎゅっと目を瞑ってこらえているんだ。


傷は癒えたと思っていた。
しかし、駄目なものは駄目らしい。
あと、私とっても馬鹿なのだ。

今なら解るけれど、当時も解ってないと駄目な事を知らない。何故?と思うほど知らないでいた。
どうやっても情報は耳に入りそうなのに。

人間社会のルールとか、基本的な知識とか、何か凄い抜けてるというか、本当に知らなかったりする。

なんだろ。自分でも引くほど、抜けてる事がある。

だから「馬鹿」って言われても、事実だから反論しないし「お花畑」も正しいし、「愚か」なのも頷ける。
それを口にする人の人間性はともかくとして、事実は事実だ。

なんかさ、ザッと書いてしまったけど、社会人になってからもっと色々あった。
ただ、根っこは中学校問題なので、そこを書いた感じになった。

「逃げろ」は正しいけれど、その先もあるんだぜ


逃げた先で、出会う人は大切だ。どんな人達に出会うかで決まることもあるよ。あとね、若いうちに「知りませーん!」って言えるといいよね。知らない事を、知らないと言ったら誰かは教えてくれたかもしれない。
けれど、私は「年の割にはしっかりしてるね」と言われ続け、しっかりしている私は社会生活を1人で乗り越えられると直進した結果、色々大切なことを知らずに、道を選ぶことも出来ずにここまで来た。いや、選んではきたか。選択肢を広げられなかった。

嫌な環境に居なくてもいいよ。逃げてもそれは恥ではない。けれど、その先を限らないで。
「自分」の力に制限を設けてしまわないで。
確かに変わるには自分が変わるしかないけれど、変わるための最初の起爆剤は「世の中」からもらうんだよ。起爆剤も自分で何とかつくりあげるなんてことしてると、心が保たない。


本当は思っている事全部を書いてしまいたい。
でも、それは疲れるからしない。

1つ良かったこと。私は辛くて1人涙を流していた時も、他人の幸せな出来事が書かれたものを読むのが好きだった。幸せな誰かの「幸せな気持ち」がこの世にある事が嬉しかった。
私にはそう想える心があった。多少は他人を妬ましく思うし、なぜ私がとも思うが、それに囚われることはあまりない。
それは幸せなことだと私は思っている。

まとめず勢いで書いた。
これがなんになるかというと、なんにもならない。
多分この先も私はこの気持ちと付き合う。
そういや昔、他人に「あなたのは思い込みだから、大丈夫。病院とか行くレベルではない」って言われたなー。そうなのかも。全部私の偽りなのかもって思うこともある。私、嘘つきなのかな。周りの大変そうな人達を見ると、確かに私のは何か違う?いや、そう思いたいだけ?でもそうは思ってないよ。じゃぁ?????


カウンセリング?…………何も知らなかったら、カウンセリングもよかったかもしれないが、私は調べてしまう。調べて、知った事は、知らなかった事には出来ない。「私は知っている。しかし、本当の意味ではしらないかもしれない。私は知らないということを知っている」という思考で相手と対峙してしまうと、解されないというか、癒やされないというか………なんか駄目なんだ(それとも、それでもカウンセリング等は意味があるのかな?とかも思ったりする)

あー、もうー!まとめに入ろうとすると考えが横から「やぁっ!」ってしてくる…

考えすぎってよく言われるけれど、皆はそんなに考えないの?考えても仕方ないから?

他にも些細なことも考えるのが癖だけれど、何でも答えてくれる人がいたら楽しかったかなぁ。疲れちゃうかな。

…辛かった事から離れちゃった。

そんな私もいるんだよという話でした。
それでも生きているよ。

普段これに悩まされてるとかじゃないです。
いや、ちょこちょこあるか?でも、うーん、どうしたらいいかはわからん!


好きなこと好きなようにして
少しずつ良くなったようなならないような

ただ、こうして電子の海で誰かと交流する事は私にとって必要だなーと思うので、こんなしょうがない私ですが、緩りとお付き合いいただけたら幸いです。

のどが渇いた…何か飲まなきゃ…

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。