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それでも➀

風が凄い。
仕事休みばっかりで嫌になる。

新しい職場を見つけようにも中々無いし、また面接で「お子さんは?」だのなんだの聞かれるかと思うと……
いやいや、せめて履歴書くらい書こう。やる気を出すんだ。
でも、書いたこところでたいした履歴もないんだよね。

「いい職につけないのは今まで努力してこなかった自分のせいだろ」

って声がある。そうだね。そうだよ。正にその通り。それは正論。

私は、努力の方向が明後日だった。

これは私の辛かった事の話。他人に言ってもどうしようもない事の話。
それでも、なんとなく書きたい話。

暇な時に読んでくれたら嬉しいなぁ(長くなるから)


下書きに溜まっていく。同じような、心の闇みたいな事を書いた物。解ってる。これを世に出したところで、何かが劇的に変わるわけではない事。変えられるのは自分だけ。だから、何時も書いては下書きへを繰り返す。

中学生の時、教室に行くのが辛かった。笑われてたから。明確なイジメとかじゃなかったけど、辛かった。
私は助けを求めた。凄く嫌だなって思ったから担任に「笑われて辛い。いじめられている」と相談した。
担任の言葉は「考えすぎなんじゃないか」だった。
確かに、そうだったかもしれない。けれど、当時の私は「あ、先生には話聞いてもらえないんだ」と思った。

母親が精神的におかしくなった頃だった。非常にヒステリックで製氷皿の水をこぼしただけで怒鳴られるとは思ってなかったから未だに覚えている 。母は「死んでやる」って言ってよく飛び出していた。私は、ヘラヘラして何もしない父の代わりに母方の祖母に電話をして行ってないか確認したり、叔母に電話して行ってないか確認した。同居していた父方の祖母には「ママがしっかりしてないんだから、長女のあんたがしっかりしろ」って言われたし、母方の祖母には「アナタはしっかりしてるから、ママのことよろしくね」って言われていた。

私が学校で辛いのを母には解ってほしかった。でも独り言で自分を慰める私に「何一人でブツブツいってるの。変だよ」と言ったり、塾に行かない選択をした私に「大人になって勉強出来ないのはママが塾に行かせなかったからって言わないでね。ママは提案したんだから」と言われたりした。
駄目だ。頼れない…
今なら解る。母も手一杯だったのだ。しかし、中学生の私にとって親を頼れない衝撃は大きかった。

私は中学校に通い続けた。意地で。2,3年の頃にはそこまで酷くなくなった笑われるということ。それでも、教室に入るのは恐かった。

皆が進路を考え出す2年生のある日、とても嫌だと思うことがあった。発表会である。私は初めて仮病を使って早退をした。
そして、家に帰って怒られた。でも私は、涙ながらに辛い気持ちを話した。そして当時、ではじめた子供相談室みたいなところに自分から電話した。

忘れもしない。北側の暗い和室で子機を握りしめ電話をしたこと。
当時の私の悩みなんて簡単に言えば『勉強出来なくて人に笑われるのが恐い』と言う事だった。
でも、恐いのはそれ以前に自分の行動を逐一ネタにされて笑われたからだし、勉強についていけないのも、教室にいる間顔もあげられないほど緊張し続けていたからだというのが私の中にはあった。
私は傷ついていた。それがどんなにくだらない理由だろうとも。
担任も、親も駄目だった。なら、外の大人に相談しよう。と考えた私は頑張っていたと思うけどな。

相談員の言葉も生涯忘れないだろう。
「よかったーその程度で」
明るい声に私は息が止まった。相談員は、勉強すれば解決すること、泣いて電話をしてきたのでノートや教科書を捨てられたりするレベルのイジメかとハラハラした事などを明るく話した。
「勉強頑張ればいいよね?ね?大丈夫そう?」
と聞かれた私は
「はい。有難う御座いました」
と言って電話を切った。
母親が襖を開けて「解決した?」と聞いて来たのに対して「うん。明日から学校行く…」と答えた。「(解決して)良かったじゃん」と母が言って去っていったあと、声を殺して泣いた。
あの時ほど惨めな気持ちになった事はないかもしれない。助けての声をあげること3回。私の言葉や態度が失敗を招いたとしても、酷だった。中学生の私には酷だった。

その結果
「大人は頼っちゃいけないんだ。同級生も無理。そっか。私は一人でなんとかしないといけないのか」
という結論を出した。
そこから、根性で中学校には通った。班長もやった。先生に馬鹿にされたこともあったけれど、我慢した。今思えば、もっと上手いやり方だってあった。ただ、中学生という多感なお年頃の子供には出来ないことが多すぎた。

私は家を出る決意をした。先生と父親には面談で「一人ぐらしが出来るわけがない」と笑われたし、母親には「いいな〜。私が子供の頃はそんな進路許されなかったのに」と言われた。

どの大人の言葉も私の怒りに触れる。
私が何故、わざわざ一人暮らし出来る条件の専門学校を選んだのか、こいつら一人も理解してない。私がどんな思いで、家を出るのか想像することしらしないんだ………………

親と喧嘩した時に「嫌いな場所で休む人はいない。私は死んでもこの家には戻らない」と啖呵を切ったことがある。
そして、その一歩を踏み出した。年齢的には高校1年生の春。私は地元を離れ、一人で生活をスタートした。


長くなったので記事をわけます。
読みにくくてごめんなさい。
あと、ここまで読んでくれて有難う!




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