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カップ麺ができあがる頃、祖母はまた湯を沸かし始める

わたしは、小さい頃から生粋のおばあちゃん子だった。

と言っても、わたしは大阪に住んでいて、おばあちゃんは広島に住んでいるため、会うのは年末年始などの長期休みがほとんどであった。

小学校3年生の夏休みには、大人たちのお盆休みに合わせて帰るのが待てなくて、ひとり、広島行きの新幹線に乗って先に会いに行ったこともあった。
まさしく夏の大冒険。
心配する母に「大丈夫!できるよ!」大口を叩いて、大きすぎる座席に背筋をピンと伸ばしお行儀良く座った。
だけど、やはり心細かったのであろう。
駅のホームでおばあちゃんとおじいちゃんの顔を見た時のほっとした気持ちは今も覚えている。

高校生くらいになると、年末年始やゴールデンウィークには友人たちと遊ぼうと誘われることもあった。もちろん遊びたい気持ちもあったが、わたしには常に先約があった。

「よう来たね〜」迎え入れてくれるその人に会うため。

おばあちゃんとの思い出話は沢山ある。
幼少期、わたしは「なんでなんでマン」だった。おばあちゃん家の周りにある庭や畑に出ては、「この野菜にはなんでネット被せてるん?」「なんでこんなに大きく育つん?」「この花は赤いのになんでタネはこんな色なん?」

おばあちゃんの横に張り付いては聞きまくっていた。

そのひとつひとつの「なんで」を嫌な顔せずに「これはね、、、」「それはね、、、」おばあちゃんは教えてくれた。わたしにとっては、そのどれもが小包のプレゼントをもらうようで、嬉しくて大好きな時間だった。

おばあちゃんたちは畑作業もしていたので、春先にはいちご狩り、秋口にはみかん狩りが年間イベントとして行われた。
毎年、自分にとってはご褒美だったけれど、家族みんなでお手伝いをしに帰って旬のものをいただく、贅沢さを味わさせてもらった。
おじいちゃんとおばあちゃんが毎日欠かさず苗や木のお世話をしてくれている大変さや有り難みを知るのは、そのずっと先のこと。

けれど、5年前ほど、「もう今年でみかん狩りは最後になるかもしれない。」そう母から聞かされる。

会うたびに小さく感じていたおばあちゃんの背中を思い出し、なんとなく悟った。

自分が進学して、社会人になって歳を重ねることに「大人の仲間入りだ!」と少し喜びを感じていた時間は、おばあちゃんにも同じく流れていたのだ。

「ばあちゃん、認知症の症状があるみたい」
母から聞かされた後、なんの音も耳に入ってこなかった。自分の目で確かめるまでは、認めたくなかった。けれど、少しでもどんな状態なのか知りたくて、広島に住む親戚から、ちょっとずつ様子を教えてもらい状況を呑み込んだ。

「今度会う時、自分のことを忘れていたらどうしよう」
そんな不安と共に初めて広島に帰った。

玄関のベルを押し、「帰ったよー」と声をかけると、「あすかちゃん、よう来たね〜」と聞きなれた声が返ってきた。

ほっとした。
初めてひとりで新幹線に乗って広島に行った時、駅のホームでおばあちゃんたちを見つけた時以上に安心した気持ちになった。

「なんだ、ばあちゃん元気そうじゃない?」そう思い、いつものように台所に行くと、冷蔵庫に一枚の張り紙を見つける。

冷蔵庫に何があるのか見てから買い物をすること

不思議な気持ちで冷蔵庫を開けると、牛乳2Lが4本に、納豆は3パックが3つ。なめ茸の瓶は8本以上あるし、とにかくおじいちゃんとおばあちゃんの二人暮らしにしては、食べ物が多すぎる。

どうやら、おばあちゃんは買ったことを忘れて、同じものを何度も買ってしまうようだった。それを見兼ねて従姉妹のお姉ちゃんが書いてくれていた。

年末には毎年、親戚で集まって蟹をいただくのだが、注文したことを忘れて2重で頼んでしまい、30杯ほど届きそうになったこともあった。(蟹好きとしては嬉しいけれど)

「まだ家にあるよ」「もう注文してあるよ」そう声をかけても、「そうだったかな」とぼんやりと考え込んでしまうおばあちゃん。

でも次にはそのことも忘れて、洗濯物を取り入れに行くおばあちゃん。
切り替えが早くて、見いているこっちが置いていかれそうになる。

今年の夏に帰った時には認知症はやはり進行していて、3分前に話したことを忘れるようになっていた。

「今日は何曜日かな?」
「ゴミは出したかな?」
「洗濯物を干さないとだな。」(洗濯物を干したところなのに)

けれども、昔のことはよく覚えている。
お昼下がりの台所で、わたしはパソコンを触っていた。それを見たおばあちゃんは、「今はどこでもお仕事ができていいね」なんて話しながら、「おばあちゃんのときはどうだったの?」と尋ねると、自分が働き始めた頃の話をしてくれた。

10代の後半、おばあちゃんは洋裁学校に通っていた。若くして母を亡くし、お家のことをこなさなければいけなかったので、卒業後、自宅でできる仕事を探していたそうだ。そんなとき、知り合いから尾道の洋装店で仕立てができる人を募集してるみたいよ、と紹介してもらい、キャリアをスタートさせることになる。

20歳頃には、仕立て屋として家で洋裁のお仕事をしていた。尾道の造船場に届く仮縫いのお洋服をミシンで仕立てていく。

昔は玄関すぐそばに縁側があり、そこにミシン台を置いて作業をしていたそうだ。窓際だったこともあり、郵便物を届けてくれる配達屋さんに「今日もご苦労様です」と挨拶をすることがあったそう。

「もしかして、その配達屋さんって??」
「そうだよ。じいちゃんだよ」

そこから仕立て屋さんと配達屋さんの物語が始まったのだ。

おじいちゃんが何のお仕事をしていたのかは、知っていたのだが、そんな運命的な出逢いがあったなんて!!

興奮冷め止まぬまま、そこからどうして恋仲になったの?と尋ねてみたけれど、それはよく覚えてない、と照れながらおばあちゃんははぐらかした。

仕事の話を聞いたつもりが、おじいちゃんとの出逢いまで聞けるなんて…!
昔のことを少し恥ずかしそうに話すおばあちゃんの顔はとても活き活きしていた。

最近の出来事を忘れてしまうことがあっても、こうやって懐かしいと思える出来事を忘れずに覚えてくれてたら、それでいい。
好きな思い出だけを覚えていてほしい。

洗濯物を干さなきゃっと支度し出したおばあちゃんの背中を見て、わたしはそんなことを考えた。


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