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マグリットの画集を読んでいたら三島由紀夫を思い出した回

こんばんは。9月最初の記事。今回はこの何だか抽象的でめんどうそうなテーマが物語っているように一言で言うと内容がとってもめんどくさい記事です。わたしのめんどくさい部分がさらに物事をめんどくさくし、めんどくさい思考を経て、このとてつもなくめんどくさい記事が完成しました。いつもめんどくさくてすみません。

ことの始まりは昨日の夜、高校の時に初めて見てすごく心に残ってた三島由紀夫のラジオインタビュー音声が昨日YouTubeでFat Dog見てた時にたまたまサジェストに上がってきて改めて見たこと。まずインタビューしてる高校生の子がませててすげえーと思います。

話は逸れるけど、Fat Dogはまじかっこいい。

で今『MAGRITT 400』という本を読んでいて、なんか三島由紀夫がこのラジオで言ってることと、マグリットの本に書いてあることにすごく共通点があるなと思ったので自分なりにまとめてみようと思いました。

いつもの如く買って早々本カバーを外してしまったので丸裸です

文学や音楽や絵は芸術の一種だけど、その芸術って結局のところ何を指すのでしょうか。わたしは芸術は人を、時代を推し進める衝撃を生む行為だと思います。だから単なる自己表現とは全然違うもの。今は混同されていることが特に音楽業界で多いけどわたしは単なる自己表現をして「アーティスト」と名乗るのは間違いだと思っているし、自己表現よりも芸術作品を創り出すことに興味があります。

マグリットは「La Ligne de vie (生命線)」と題された講演で「ものを衝撃的に見せる」方法として「新しいものを創造すること。ありふれたものを変容させること。木目のある空など、場合によってはその材質を変化させること。イメージと言葉を組み合わせること。イメージに偽りの身分を与えること。友人の提案するアイデアを試してみること。半分眠った状態で見たヴィジョンを表現すること。」を挙げていたと本に書かれていました。つまりマグリットはありのままのものを見せるのではなく、もののイメージを変容させて作品を見る人に衝撃を与える手法をずっと探し求めていたのだと思います。その方法を探していく中で自分のスタイルに出会ったり、新しい表現方法が生まれたりしたのではないでしょうか。少なくともこのマグリットの本には、ありのままで満足せず、新たな衝撃を生むための表現を画家人生追い求め続けた一人の芸術家の姿がありました。

P40

音楽で言うならば個人的に聴いてる側に「それな〜」って言わせたらダメなんだと思います。わたし日常ではめちゃくちゃ「それな〜」言ってるけど笑。日常ではいいけど芸術っていう分野をやろうとしてるなら、アーティストとかミュージシャンって名乗るのであれば自分なら作品に共感されるのは嫌だと思います。だから個人的にOasisよりBlurの方が好きだったのもこういうことなのかなって思いました。まあ原体験じゃなくて完全に後追いだけど。これはわたし自身の好き嫌いの話なので他の人がどうとかは関係ないし、否定しているつもりはありません。ただ自分はそれが嫌だって思った話です。

で、三島由紀夫が太宰治に嫌いって言ったのってここなのかなって思いました。「芸術」っぽく見せながら徐に読者に共感を煽って自分と同じような人生に傾倒させる、やり方がずるいって言ってるんじゃないかなあ。太宰治の才能を認めた上で、それはそんな才能のある人間、「文学者」がやることじゃないって言ってるのかなって思いました。他の人がどうとかは、何回も言ってしまって申し訳ないのですが、なんでもいいんだけど、私もそういう「芸術」のほうに魅力を感じるしそういうものを創り出したいと思っています。新しいものを創り出す行為はそれがどんなに小さな一歩であったとしても時代を推し進める、マグリットが求めたような衝撃を生む行為だと思うから。だから自己表現と芸術は全然違うものなんだって改めて思いました。

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