才能が無い

自分には何も無いと語る人がいる。
そういう人から見て才能の塊のように見える人が世の中には居るのだろう。

何かの世界でトップになったとする。その人は同じ世界の中では最も才能豊かに見えるだろう。だがトップの人の心の内はどうなのだろうか。

トップの人は当然だがある時点でのトップである。これは過去に遡ればトップでは無かった時期があり、そして未来を見てもトップでは無い。皆様も、記録は塗り替えられるものであることを御存知だと思う。
つまり、トップである期間は一時であり、その長さには長短ある。
その事をトップに立った人は知っている。
トップに立ったとしても、それは自分が最優秀だったからトップになったのかと言えば異なるのだ。
自分が抜かした相手が居たからこそ腕を磨けてそこに立てたのかもしれない。もっと優秀な人がその期間は居なかったからなのかもしれない。追いかけていた人が去ったからその席に収まっただけかもしれない。
そして、いつか自分がそうしたように誰かに抜かれる日を待ちながら。

また、ある世界ではトップであってももっと広い世界では全く異なることもあることを皆様も御存知では無いだろうか。
それが全く同じ競技であっても、クラスから学年へ、学年から全校へ、全校から地域の学校へ…世界が広がれば幾らでも上は居るのだ。
そんな競争の中で、時にトップの人間が裏で苦しんでいる姿を見る機会がある人も少なくは無いのではないだろうか。
トップである為に他の何かを犠牲にして、表舞台では華があるのに裏では薬物や犯罪に手を出したりとそんな話は溢れているのだ。そのような人が幸せだとどうして言えるのだろう。

それでも何かの場面でトップになれたのであれば自己肯定感も増して良いでは無いかと嘆く人も居る事だろう。
では、あらゆる分野で才能を発揮する人は自己肯定感の塊になるのではないだろうか。

世の中、何をやらせても直ぐに上手く出来る人が居る。それは驚愕するような事実だが、本人にとってはそれが自分にとっての標準でもある。
何でも上手く出来る状態の人は色々な事に手を出す。しかしどれもそれなりに上手く出来てしまったらどう感じるのだろうか?
最初の内は確かに楽しいのかもしれない。
しかし競争するものばかり選んでいたら、直ぐに楽しい部分を通り越してトッププレイヤー達が抱える苦悩のような面が出てくる。そこまで来ると嫌になって次を選ぶ。
だからこそあれもこれも出来るのだが、どれも継続し続けている人にはおよばないものだ。
それでも競争を続けているならば転々としている自分にも気付くだろう。それが悪いことでは無いが、熱中し続けられる何かを見付けられないことにヤキモキしたりもするものだ。
そして一芸を持っている人に憧れたりもする。そこに自分には無い才能を見出すからだ。
憧れを目指して苦手な事をやり始めた時に、何でもできる人は本当の楽しさを見出せるのかもしれない。

自分には何もないと語る人がいる。
世界というパズルに上手くはまらないと嘆く人がいる。
広大な世界を人はどれだけ把握できているのだろうか。
身の回りの人を眺めていても世界が見える筈が無い。
大海を眺めたとしても深海は見えることが無く、遥か彼方にある大陸の姿を拝むことも出来ない。

自分には何も無い。
そう語る人は苦手なことだけを目の前にしていただけかもしれない。大海の向こう側にある大陸では得意なことで溢れているかもしれないのだ。
自分には何も無いと語る人、その人は向こう側の大陸の人からしたら、豊かな才能に溢れている人があえて苦手な事をして楽しんでいるだけ、にも感じるだろう。
そんな人が自分には何も無いと語る姿に、疑問を覚えながらも向こう側の大陸の人は笑顔でこう語りかけるのだ。

「早くこっちにおいでよ!こっちは楽しいよ?」

向こう側の大陸が何処にあるのか。
それを探すことが人生において重要でもあり、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という有名な言葉があるように、世界を知り己を知ることが出来れば生き易いと考えるのは多くの共感を貰えるのではないかと思う。
そんな世界と自分を知ることが誰でも容易に出来る環境を整えることが人類にとって幸せをもたらす鍵となると言えるのではいか。

しかしこれこそが難題だと考える人も多い。
自分を知る為に数多くの分析方法が考えられ、社会の職業と照らし合わせるような道具が生み出された。
簡単な所だと血液型占いにしてもそうだが、どれも情報不足で曖昧でいまいちな事は薄々気付いているのではないだろうか。
結局、人を枠の中に入れて用意した職業の中から適性を決めているだけである。枠にまず人を押し込めなければならず、そこから既存の職業という枠に嵌め込んでいるのであれば発展性も無く、枠に収まらない人が行き付く先が無いと嘆くことになるのは明白である。
だからこそ結局は各人が自分で答えを探していかないといけない。
そんな鍵が内なる神、つまり自分の中に答えとしてあるとしているのがスピリチュアルであり、だからこそスピリチュアルが再認識されているのが現代と言えよう。

まあ色々と書いては見たが、かく言う私もかなりの方向音痴である。見知らぬ大陸を探して彷徨い歩く迷子ではあるので、いつかふと見付かる日を期待して日々過ごしている。

そこにはきっと素敵な仲間達が待っていることがわかっているのだから。

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