「書く仕事がしたい」と思ったきっかけは、70歳年上の友人でした
noteをご覧いただきありがとうございます。
島田菜々美と申します。
私はいま、OLからライターへと大きくキャリアチェンジしようとしています。今回は、なぜそんな決断をしたのか、ちょっとだけお話しします。
「学生時代に注力した英語を使って海外とつながる仕事がしたい」
「真面目にコツコツ続けられる性質を活かして事務職に就きたい」
と、2018年に新卒でホンダの商社に入社。
経理課に配属され、尊敬できる上司や先輩方に囲まれて、日々楽しく働いていました。輸出や為替の業務に携わることで、当初の目的もおおむね達成できました。
ある日、引き出しの奥から大量の手紙を見つけ、「将来は文章を書く仕事がしたい」と70歳年上の友人に話していたことを思い出しました。
その人生の大先輩のことを、私は「吉田さん」と呼んでいます。本当はもっとかっこいい名前をお持ちだった記憶がありますが、今回は吉田さんとお呼びします。
私が知っている吉田さんの略歴はこんな感じです。
昭和元年生まれ
10代の頃に戦争を経験
東京帝国大学に通っていた
元朝日出版社の記者さん
60歳の頃に30歳の奥様と結婚
小学生の頃、父の会社に遊びに行ったときに、ビルの管理人室にいた吉田さんと出会いました。本好きという共通点で仲良くなった私たちは、その後、約15年間文通していました。クレヨンで書いた手紙を、私が吉田さんに手渡したことで文通が始まったそうです(残念ながら全く記憶にありませんが、手紙に書いてありました)。
吉田さんは子ども扱いしたり見下したりせず、ひとりの人間として誠実に対話してくださる方でした。手紙を読み返して、私の年を考慮した書き方をしてくれていたことにも気づきました。
私が素直に人を信じる人間になったのは、こういう素敵な大人がずっと身近にいてくれたからかもしれません。
受け取った手紙の数は32通。
いくつになっても、誕生日には必ず手紙をくれました。
始めのうちは父を介して、会社が移転した後は郵送で手紙を送っていました。
吉田さんは家に遊びに来てくださったこともあります。とびきり美味しい珈琲を淹れてくれたり、戦争と世界平和について話してくれたりしました。
成人式の日は、実の祖父母ではなく、吉田さんに晴れ姿を見せに行きました。「生きていてよかった」と心から喜んでくださった顔が忘れられません。
年号が令和になった頃、吉田さんは91歳でひっそりと亡くなりました。「猫のように、誰にも見つからないようにいなくなりたい」というご本人の希望を尊重し、奥様は誰にも知らせずに葬儀を済ませたそうです。
数年後、大量の手紙の束を見た私は「書く仕事がしたい」と話していたことを思い出しました。
それから、どうしたら書く仕事に就けるのか本気で考えて、Webライターに転職することにしました。吉田さんがいう“物書き”とは少し違いますが、文章で世のため人のためになれるなら本望です。
今後どうなっていくのか分かりませんが、うっかり籠から飛び出してしまった以上、ちゃんと羽ばたけるようにがんばります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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