20年恋い焦がれるクリスマスソング
クリスマスの文字を見かけると、脳内で勝手に再生される曲がある。KICK THE CAN CREWの『クリスマス・イブRap』だ。
本作品がリリースされた2001年頃の私は、スピッツや小沢健二、堂島孝平など、ほんわか癒しのポップミュージックに傾倒していた。私の中でのラップの位置付けは、チャラい人たちがつくる“ダサい音楽”で、ストリートカルチャーなるものを表面上だけ見て拒絶してまったく関心を示せず、その音楽が生まれたルーツすら理解しようともしていなかった。今思うとドギツイ色眼鏡越しに物事を見すぎていて、本当に恥ずかしい・・・。
この頑なな先入観を気持ちよく壊してくれたソフトなラップ。それがKICK THE CAN CREWの『クリスマス・イブRap』だった。
この曲がきっかけだったかどうかすら忘れてしまったのだけど、KICK THE CAN CREWのベストアルバムを購入し、何度も何度も、繰り返し聞いた記憶がある。なぜにこんなにハマってしまったのだろう。
イントロ。「ついにクリスマスがきたぜー!」とでも言いたげに、シャンシャンシャンと華やかにはじまる。クラシックの名曲、パッヘルベルの『カノン』アレンジを豪華に被せてくることで、非日常の特別感とどことなく浮足立った感じが伝わってくる。夜空には雪が舞い、ゆらゆら輝くイルミネーション。白銀に彩られた都会の並木通りが脳内の空想世界に広がる。
少し経つとイントロは落ち着き、しっとりとした物寂しげなモードに。イルミネーションのある風景とは程遠い薄暗い一人ひとりの日常に視点が変わる。
そのトーンのままラップにのせて語られるのは、意中の彼女と過ごすことのない男たちの、三者三様の行き場のない切なさ。ラップだからなのか、なんとなくチャラい男たちの姿が思い浮かぶ。
心を寄せる女性と一緒に過ごしたかった。でも今、隣にはいない。やりきれなさをかき消したくてアルコールにおぼれたい。でもあの娘の笑顔が脳裏をかすめる。忘れたいのにできない。少しでも距離を縮めたいだけなのに・・・。せめてものの願いを込めるのだけども、虚しく特別な夜は終わっていく。
なんだよ、これラップなのかよ。チャラく見える男たち、想い人がいなくて寂しがってるとか、なんてかわいいかよ!思わずツッコみたくなる。
サビのこの部分、なんとなくなげやりに聞こえるのがまたいい。軽快なノリとは裏腹に、メイン歌詞で押し殺した寂しい気持ちを慰めているようで、絶妙な温度感にもだえる。
何よりいちばんおもしろいと感じるところは、クリスマス“定番中の定番チューン”の山下達郎『クリスマス・イブ』の“アレンジ曲”といった位置付け。なのに曲の中にうまく溶け込んでいて、街中からなのか、テレビからなのか、作中の世界の中で当たり前のように聞こえてくるBGMさながらの役割を果たしている。まるでオムニバスドラマを観ている感覚になるのが心地良い。
あとは、巧みな言葉遊び。ひとつの言葉の中に何重もの意味が重なり合う。ああ、これがラップなのかと舌を巻く。
KICK THE CAN CREWの3人の、それぞれが生み出す言葉の掛け合わせが巧妙で、何度も聞きたくなるなめらかさと、滲み出る個性にのめりこみたくなる中毒性がある。
3人の男たちそれぞれのクリスマスの寂寥感を見せたあと、ラストはまたイントロに戻り、クリスマスで賑わう華やかな繁華街の風景で終わる。
音楽とリリックが化学反応を起こす。溶け込んで馴染んだり、はみ出たり。情景がありありと浮かんで、読後感(?)が気持ちいいほどすがすがしい。
従来のラップでは感じたことのないさわやかさだった。チャラいと思い込んでいたからこそギャップが大きすぎて、強烈に印象深い曲になっている。だからなのか、毎年クリスマスの時期になると聴きたくなってしまう。
令和発のクリスマスソングはまだ知らない。でもやっぱり、耳慣れた“定番中の定番チューン”を聴いてしまうのだろうな。
2023年のクリスマス。彼らの言葉遊びの妙に、改めて溺れるとするか。まだ聴いたことのない人は、ぜひこの機会に。
次は福島県在住のライター・編集は/奥村サヤさんにバトンタッチ!明日はどんなクリスマストピックが飛び出すのか、お楽しみに〜!
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