京王線と小田急線に育てられて
よく比較される、京王線と小田急線です。
でね、なななつにとっては、京王線も小田急線も、どちらの沿線の街も思い入れが深く、どちらがいいとか悪いとか…優劣がつけられません。
ちょっと長くなりますが、なななつの居住履歴を簡単に説明いたしますね。
なななつは京王線の「千歳烏山」で生まれました。
生まれた直後に、両親となななつは京王相模原線の「稲田堤」に移り住み、小学校の低学年までを「稲田堤」の街で過ごします。
その後、家族で小田急線の「読売ランド前」に引っ越しをしました。高校2年生までを過ごします。
そして、なななつ一家は「町田」に引っ越しをするのです。高校2年生の夏のことです。
以来、なななつの両親は「町田」で過ごしています。
なので、なななつの実家は「町田」となります。
でもね…「町田」とはいえ、なななつの実家は小田急線の「町田」と小田急多摩線・京王相模原線の「多摩センター」と横浜線の「淵野辺」の3駅の中心にあります。
そして、現在のなななつですが…
なななつは生まれた街である、京王線の「千歳烏山」に10年前に、舞い戻りました。今現在、「千歳烏山」にて一人暮らしをしています。
大学在学中の数年間は、京王線・小田急線沿線から離れたものの、なななつは人生の殆どを京王線・小田急線沿線で過ごしてきているのです。
なななつは京王線沿線と小田急線沿線の街に育てられてきたのです。
小学校の遠足や林間学校などは、「高尾山」だったり、「江の島」だったり、「箱根」だったりしました。
なななつの通っていた高校は、小田急線の「経堂」にありました。
高校時代になななつは授業をさぼって、友人と「江の島」に行ったこともあります。
懐かしくもあり、よき思い出です。
母とのお買い物には、今でもよく、「多摩センター」を利用しています。
なななつにとって、京王線沿線の街と小田急線沿線の街には、ホントに数限りない思い出が詰まっているのです。
人生、何が起こるかわかりません。
もしかしたら、これから先、京王線沿線や小田急線沿線の街から離れることもあるかもしれません。
でもね、なななつは生まれ育った京王線と小田急線には感謝しかないのです。
これからも、京王線沿線と小田急線沿線の街が、なななつの拠り所でありますように…
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