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ばあちゃんのかぼちゃブローチ(Voice essayあり)

小さい頃、身近な大人の中で祖母が一番好きだった。
どこがそんなに好きだったかと言うと、うちのばあちゃんは暮らしを楽しむ天才だったのだ。

ばあちゃんといると、たちまち家にいることが楽しくなった。
小学生の頃、毎週土曜日のお昼ご飯は、ばあちゃんが用意をしてくれていた。その日だけは、黒塗りの漆のお膳にのせて昼食を出してくれていたのだ。メニューは、ご飯とお味噌汁とツナ缶の時が多かったけど、いつものご飯とは違うしつらえに、私の胸は高鳴っていた。

ばあちゃんは素敵な物も作ってくれた。
かぼちゃの煮つけを作る時に、種をきれいに洗ってとっておいて、それでかぼちゃブローチを作ってくれたのだ。

かぼちゃの種を花びらに見立てた、お花の形のかぼちゃブローチ。
私はそれがとてもお気に入りで、宝物だった。捨ててしまうはずの種から美しいブローチが生み出されることが、魔法のように思えた。

そんなある日、友達たちが当時流行っていた紙粘土を持って家に遊びに来た。私以外、みんな紙粘土を持っていた。でも、私は紙粘土にはあまり魅力を感じず、「今日もかぼちゃブローチを作りたい」と思っていた。
しかし小さい私は、なんとなく自分だけ持っていない疎外感が強くなり、ばあちゃんにこう言ったのだ。

「わたしも、紙粘土、ほしい」

みんなでかぼちゃブローチを作る道具を用意してくれていた祖母は、少し困ったような顔をした。それを見て、私の心はちくっと痛んだ。

あれから早30年。
最近、あの時感じた「ちくっと」の正体が分かった気がしている。
ばあちゃんへの申し訳なさと共に、本当は豊かだと思っていることを「本当じゃない気持ち」に流されて自ら離してしまったことへの痛みだったように思う。

何てことない日常も、それが自分にとって輝くものならば私は自信を持とうと思う。ばあちゃんがそうだったように。
ばあちゃんは天国にいった今でも、私の暮らしの師匠なのだ。

【このエッセイを朗読しています】↓


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