数年ぶりに髪を切って感じたこと
先月、ばっさり髪を切った。
それまでの数年間、緩いパーマをかけた肩下のロングだった。
これまでも「髪を切りたい」と思ったことは何度もあったけれど、迷うけれどいつも切らなかった。
それは、双子の子どもたちが私が髪を切ることを嫌がったことと、
今思うと「ふわっとしたパーマをかけている方が優しいお母さんっぽく見えるかも。そして、自分のことを優しいお母さんだと少しは思えるかもしれない」という思いがあった気がする。
私は、自分のふわふわパーマのロングの髪でいることで、自分の中の何かを必死に守ろうとしていた。
でも、本心ではずっとずっと髪を切りたかった。実は自分の意志で本当は自由にできることさえも、見えないところで色々な思いが自分の中にあって、こんな風に何となく、何となく、流してしまうことがある。
でも、そんな自分の中の何かを変えたいと思った。9月のあの日、美容院に向かう私は、決意に満ちたちょっと凛々しい顔をしていたかもしれない。
担当してくれている美容師さんに「今日はばっさり肩につくかつかないかくらいの長さに切ってください」と口にした時、一瞬「ママ、本当に切っちゃうの?」と寂しそうに言った子どもの顔が浮かんだけれど、やっぱり私の気持ちは変わらなかった。
はらはらと大量の髪の毛が床に落ちていく様子を見ながら、これまで「良いお母さんになりたい」と思ってきた自分も、子どもの気持ちを大事にしたくて髪を切らなかった自分も、何だかすべて抱きしめたくなった。
20センチほどは切っただろうか。短くなった髪の母を見た子どもたちは「本当に切ったんだね…」という反応だったけれど、次の日には「短いのもいいじゃん!」と言ってくれた。
そして、数年ぶりに短くなった髪の自分を鏡で見て、私はとても清々しい気持ちだった。
「誰かのために」
「他の人からこんな風に思ってもらいたい」
そんな他人を意識した思いが出発点だと、どうやら私はどうしても息苦しくなってしまうみたいだ。
「自分の気持ち」が出発点でないと、どこかで誰かのせいにしてしまったり、そんな自分に自己嫌悪になったりしてしまう。
「あなたのために」。
それが大事な人であればあるほど、反動も大きくなってしまう気がしている。
だから私は、できるところでは「自分の気持ちをまず大事にすること」を選びたいと思った。大切な人たちを、ずっと大切に思えるように。
そして、自分のことを大事に思えるように。
*自分を見つめて受けとるお手紙朗読ブランド 「voice seed」を運営しています*