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どこかへ出かけること

コロナのせいもあって、一周、約100キロの島から出られなくなってしまった。どうしても出たいと思えばできないことはないが、手続きとお金がやたらかかりそうなので、出たいという気持ちにブレーキがかかる。

用事と言っても買い物とお寺のあれこれぐらいなので、家から出ることもめっきり減った。出かけるのはもっぱらzoom内のミーティング先と、脳内読書環境。たまに、果てしない太平洋に浮かぶ貨物船を見て「トイレットペーパーかなぁ」など思いながら、ひたすらPC前に座り続けている。

昨年末あたり、Kindleの設定で日本のアマゾンからのものも読むことができることに気づき、友人がオススメしてくれた宮部みゆき著「三島屋変調百物語」を読み始めた。これが、むちゃくちゃ面白い。

振り売りから始めて店を構えた袋物の店「三島屋」。そこの囲碁好きのご主人が「黒白の間」を作り、そこで世にも稀な物語を集め、百物語を聞くという。流石に当主がお相手では話しにくかろうということで、聞き手は姪にあたる「おちか」がつとめる。話される内容に「おどろおどろしい」系と「人情話」系とがあるのだが、「聞き手」のおちかさん&おちかさんを囲む人々の「物語の聞きよう」が、なんともカウンセリングと重なって興味深い。
話し手が話しながら自分の内側がはっきりしてくるという部分もさることながら、大学のカウンセリングセンターなど、「教育現場でのカウンセリングはチームで引き受けているのだ」という言葉がピッタリくるような、おちかさんを囲む人々のサポートぶりも良い感じなのだ。

聞き手を努めながら、おちかさん自身の抱えるものも紐解かれていく。長い旅をしながら、いろんな出来事に出会い、成熟していくロードムービー的な面白さも味わえる。聴くことの力が存分に書かれている。

聴くことにはパワーがある。聴くことは「ふんふん」と聞き流すことでも、「わかるわかる」と早わかりすることでもない。ここでおちかさんがしているように、自分の中を通しながら、相手の語る物語の中でさまざまな追体験をしながら、自分の中の揺れに気づき、それを言葉にしようと試み、相手の文脈に沿っての理解を探りつつ進めていく。

聞き手は物語られた物語の証人でもある。サイコドラマでも主人公とディレクター、相手役の他に観客の重要性について触れられることが多い。聞き手としてのカウンセラーは成仏する物語の証人的な役割も担っている。

なんだかんだ言って、日本での仲間は心理やカウンセリング業界の人が多かった。カウンセラーの役割についての誤解を直接、耳にすることもなく来ていた。ところが、ハワイに来て真正面から「カウンセリングなんてインチキだ」と(私のカウンセリングを受けたこともないのに)言われたり、また、別の人から「カウンセラーってただ、ふんふん聞いてればいいんでしょう」と言われたりするというショッキングな体験をし、へたばっていた。

だが、この本たちに救われた。大袈裟だけど、本当に。

「聴く」ということには、意味がある。そう自信を持って言えるなぁと今なら思える。聴くことの意味について、あの頃よりはうまく説明できる気がする。

そうそう、そんなことを去年の終わりごろに思っていたら、聞くことの力についてのクロストークをする仕事が舞い降りた。「海外こころのヘルプデスク24時」の秋田まきさんからのお声かけ。「リスニングママ・プロジェクト」の高橋ライチさんと、ヘルプデスクの秋田さんと3人で「聴くことの力」について喋りまくった。

海外こころのヘルプデスク24時はビデオ・オフでzoomを使い、無料で相談に当たる。対応するメンバーは世界中に散らばるボランティアだ。時差があるため、ふと夜中に日本語でだれかと話したくなったときにでも、無理ない時間で対応しているボランティアにつながるという、すてきな仕組みになっている。
このクロストーク、有料ですが視聴することができるので、よかったらどうぞ。ここから購入できます




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