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「分解の哲学」読んでます

藤原辰史氏のことはほうぼくチャンネルで知った。農学史がご専門だというのに、路上で生活する人々のサポートを続ける抱樸の奥田知志氏との対談が、心にグッとくる。表面的な優しさや理解を超えた何かを感じた。

ハワイにいると、日本語の本は手に入りにくい。Kindleでゲットできるようになってから、ワンクリック購入の手軽さもあって、思えば結構な金額の本も「日本まで買いに行くことを考えれば」とか「送料を考えれば」とか言い訳しながら、ついつい、「この本を購入して読む」をクリックする。
「分解の哲学」もそんな感じで手に入れた。副題の「腐敗と発酵をめぐる思考」というのにぐっと惹かれた。発酵は学生時代からの関心の一つで(なんせ、もやしもんの世界、農学部農芸化学科出身)、最近、友人が糀作りにはまり、発酵への関心が再燃しているのだ。

「分解の哲学」、手に入れたはいいものの、途中で歯が立たなくなる。序章の3ぐらいで、一回、挫折が訪れる。ナチズムやスターリニズムが出てくる。そして、だれだ?アルフレート・ゾーン=レーテル、謎なアガンベン。さらに知らないアントニオ・ネグリ、マイケル・ハート…

そんな感じで「わかりたいのに、わからない」「読みたいけど、読めない」と挫折を繰り返していたところ、クリスマスという時節柄もあってか?大いなる救世主が登場。読書会を開催してもらえることになった。

「読書会」というのには懐疑的なところがあったのだけれど、ニシイさんの主催する読書会はジョアンナ・メイシーの「カミング・バック・トゥ・ライフ」のABDに出て以来、楽しく参加している。
仲間うちでやっているベイトソンの「精神と自然」や現在進行形の「発酵文化人類学」の読書会を進めるうちに、「やっぱり分解の哲学、どうしても読みたいよね」と、挫折を抱えながら魅力を感じている仲間の存在が判明し、年末にもかかわらず、多分、多くの人が忙しいであろうにもかかわらず、年末緊急読書会を開いてもらえることになった。

まずは序章。20分ぐらい各自で読んでは感想を交換、さらに後半を各自読んでは、感想の交換。これが、面白かった。こんなとき、しかも日本時間、朝8時から10時という時間帯に参加してくださる方たちなので、何かのとっかかりがなければいらっしゃらない。参加者でぐるぐる回す感想のシェアが次なるとっかかりとなる。この時間で読むぞ、ということになるので、集中が持続する。よくわからないなぁ〜と思いながらも、とにかく読むことができる、という時間なのだ。

そんなわけで、序章を読みながら「ああ、藤原辰史氏はジョアンナ・メイシー的なんだ」とどっかで思った。それがどういうことなのか、を言語化することが必要になる(多分、そのことを今後、書いていくことになる)と思うけど、まずはそう思った、というところまでnoteしておく。

感動したり、印象深かったりする本に出会っても、「著者に会ってみたい」と思うことは稀だ。会ってどうしたいのだ? と自問すると「素敵です。大好きですと伝える」ぐらいしか思いはなく、そのために会うんじゃ申し訳ないような気もして、「会いたい」とまでならない。けれども、藤原氏には一度、お会いしてみたいなぁと感じる。

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