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ぽつり1 アマビエと流行り神

今日のコロナ禍でいわゆるコロナ前よりもインターネットを日常の中で使用することが多くなりましたが、それと共にさまざまな情報がSNSで発信、拡散されています。
その中でも皆さんは「アマビエ」というものをよく見なかったでしょうか?最近でこそ少し落ち着いてはいますが、少し前まではアマビエの工芸品やイラスト、お菓子などのアマビエをモチーフとした様々な物を作ったり、買ったりしたという報告を多くの人々が行っていました。
中には、画像をプリントアウトして部屋に貼ったりしたり、待ち受けにしているという人も見かけます。
つまりアマビエがコロナに対しての厄除けの神様として、SNSを中心に急激に信仰されているのです。

さて、ここまででアマビエをご存知ないという方もいらっしゃるかもしれない・・・ということで本当に簡単に説明をさせていただきます。
時は江戸時代、ある日突然に姿を現した妖怪アマビエは「これから疫病が流行するために、私の姿を書き写した絵を人々に見せよ」と何やら予言とも取れるような言葉を残し、一説では海へ姿を消したのだという。

アマビエはかの水木しげる氏も姿を描いており、ゲゲゲの鬼太郎にも可愛らしい姿で登場している。
しかし、実際の逸話は「人々に見せよ」と告げたのみで見せると一体どうなるのか、疫病は流行らないのか、なんだか煮え切らずに怪しい印象を受けます。

さて、先ほども述べたように、このような妖怪のアマビエがコロナの流行と共に再度信仰に盛り上がりを見せているのですが、このように一時的に取り上げられ急速に信仰される神様のことを「流行り神」と言います。
まさしく現在のアマビエがこれにあたるのではないでしょうか?
勿論、アマビエが取り上げられるのは個人の力では解消の及ばない流行病への心象不安解消のためでありますが、このまま何も考えずにアマビエを信仰することは大丈夫なのでしょうか?

大丈夫というのは一体どういったことかというと

まず、はやり神には先ほど述べた「一時的な流行性を持つ(流行り神)」という意味ではなく一時的に疫病が広がるとそれらを司どる神様が怒っていると考られ、祀り沈めることがあるのですが、その疫病の原因となった神そのものを「ハヤリ神」と述べる場合もあるという。
そして、一見今回のアマビエ信仰は「流行り神」に感じられるのですが、もしもアマビエが疫病そのものであったと考えると後者の「ハヤリ神」であるとも捉えられるのです。
日本では、恐ろしい自然災害や出来事、亡くなった人間を神格化し祀ることによってその恐ろしい力をプラスの力とし加護を受けようとする傾向があるのですが、アマビエが曖昧な予言を残しながらも伝承として語り継がれてきた理由としては、実際にあった疫病の流行時にその疫病が擬人化されたためではないかとも捉えられます。つまり、単に厄除けをしてくれるのではなく、災いそのものの可能性もあるのです。
次に、アマビエはあくまでも「妖怪」であり「神様」ではないということです。勿論、妖怪の中では単に恐れられたり可愛いと言われるだけではなく、神様として大切にお祀りされているものもいますが、基本的に日本の神様の性質として、願い事に対して願いをする人間の方は代償を神様に約束しなければならないのです。例えば絵馬に願掛けをする際にも「2ヶ月ジュースを飲みません」や「禁煙をします」など、自分なりに制約を課すことが基本になっています。(最近ではこの制約をしない人がほとんどですが・・)その制約、代償というものがかつての人柱であったりもするのです。
そして、願いが叶った場合は必ずお礼参りといってもう一度その神様にお礼を言いにいかなければなりません。
不用意に遠方の旅行先の神社でお願いをしてしまい、それが叶えられた場合にはもう一度お礼参りに行かなければならないので大変です。
このように考えるとアマビエを神様として信仰するというのは少しリスキーな気もします。
予言をして消えてしまったアマビエに、どこへお礼参りのようなものをしに行けばいいのか、そもそも一体何をしてくれて人間に何を求めているのか・・。
以上のことがこのままアマビエを信仰することは大丈夫なのか?と不安になっている理由である。

先にも言いましたが、江戸時代、ましてやコロナ前よりもインターネットが普及し個人が個人や団体へ情報を発信することが非常に簡単にできます。
さらには情報も版画で刷ったり、コピー機でコピーをして手紙のように配るのではなくボタン1つで十人、百人と拡散することができます。
アマビエも単に流行しているのではなく、デジタルとなって信仰が拡散することによって本格的に神格化され、ふんわりとした逸話に何か具体的な話が付け加えられてくるのでしょうか?

確かにこのコロナという姿の見えない脅威に対して、姿の見えないものにすがりたいという気持ちは誰しも思うことでしょう。
しかし、みなさんもその信仰対象のルーツや信仰方法を考えると少し疑問に感じる部分も出てくるはずです。
「流行り神」がで始めると、それを主とする新興宗教も出てくることがしばしばあります。
何事も見極めが必要ということですね。

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