原点


私の原点は、0~3歳までの託児所での自然との触れ合いや楽しい行事の記憶、そして4歳からの絵画教室での体験。これは特にボディペイント。大人、子供、男、女、関係なく絵の具まみれになり、混ざり合う。そんな体験をさせてくれた人達に感謝しかない。本当に素晴らしい体験だった。そして山登りや川遊び、田植えなどの農作業。水、泥のヌメリ、冷たさ、臭さ、風や草の音、土や空の色、全てが私の命を創った。芸術とは自然であり、自然とは芸術だ。生きるという行為そのものに、芸術、すなわち自然は必要不可欠だ。そんなことを全身を使って学んだ。絵画教室の先生は、私の創作するものを絶対に否定しなかった。私が手を動かしている時は絶対に否定的な言葉で邪魔しなかった。私が、ウーンと悩み、迷った時にはじめて、助言をしてくれた。数学的、技術的なことを分かった上で、それを壊していくことが大切だということも学んだ。6歳くらいまでは純粋に創造することを楽しめていた気がする。しかし、そこに集団生活、世間体というものが加わって、私は創造することに苦しさを覚えるようになった。上手に創らなければ。怒られたくない。嫌われたくない。そんな感情に支配されて、幼い頃持っていた自由を失ってしまった。周りと同じように、良い点数を取り、他人や時代が決めた、良いとされる行いをする。なんでそんなことをして、みんな正気で生きられるのか、私は不思議でたまらなかった。みんな、正気のフリをしているだけだった。何度も、私はなんで生きているのか、何のために生きているのか分からなくなった。何度も死を意識した。死を意識するあまり、死後の世界への興味が深くなった。私はつくづく、運が良いと思う。自分に必要なものが、必要なタイミングでやってくる。絵と同時に、音楽に出会った。しかしやがて音楽と絵を両立できなくなり、苦渋の決断だったが、その時は音楽を優先させた。音を奏でることは自分にとって本当に気持ちの良い行為だった。ただ、大勢の集団と共に行動することが苦手なため、ストレスもあった。高校でも音楽を続けようとしたが、あまりのストレスに耐えられなくなり、壊れて逃げた。しかし、今でも、ずっと、音楽は大好きで、私が生きていく上で欠かせないものだ。たまに1人でカラオケに行き、歌を歌った日は自分の全てが溶けだし、とてつもないエネルギーが湧いてくる。そしてまた絶対、自分で楽器も奏でたいな。私は全てを敏感に受け取ってしまうがあまり、頻繁に壊れてしまいそうになるが、運がいいことに、私には私を支えてくれる人が沢山いる。その人々と絵や音楽などの創造というアウトプットのおかげで私は今日も息をしていられる。そして、世界中の人々の行動が制限され、自分と向き合う時間が増えた時、私はまた絵と出会った。やはり私は、というより、人類は、芸術と共に生きなければならない運命なのだ。何かを創造するということは、人類にとって、生きることと同義なのだ。芸術、すなわち自然と共に生き、自然と共に死んでいく。それは、私だけではなくこの世に生きるもの全ての運命である。何も怖がることなく、創造しよう。自分の本能に従って。

ps.
この文章を書く前、YouTubeで草間彌生さんの動画を片っ端から見たあと、Amazonプライムで「太陽の塔」という映画を見たんです。完全に草間彌生さんと岡本太郎さんに影響されてますね。

幼少期の体験で、もう1つ重要なことを思い出しました。それは、母が毎晩してくれた、絵本の読み聞かせ。これは本当に私にとってとてつもない影響力があります。私が持った一番最初の夢が"絵本をかく人"なのは、絵を描くことと、母の読み聞かせが好きだったからでしょう。絵本の中で特に印象に残っているのは、「これはのみのぴこ」。反復の文章がとても多い絵本です。最後は声を枯らしながら母が読んでくれていました。
血縁というコミュニティの中で私は末っ子だったので、みんなが私に沢山の経験や知識を与えてくれました。本当に運が良いというか、恵まれていますね。与えてくれたぶん、これから私がみんなにそれ以上を与える番です。

たくさん経験して、学んで、知って、その上でシンプルにやりたいことをやる。それが私にとって1番豊かな人生な気がする。

めちゃくちゃな文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?