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青春ってなんだっけ。

青春ってなんだろう。華の高校生と呼ばれるあの頃の私は楽しく学校生活を送れていなかった。学校よりもバイトに熱心で、友達よりもオタクの方が好きだった。学校に居場所がなかった私は青春を過ごせていなかったのかもしれない。

高校を共にしていない友達の青春は部活や友達との思い出だという。でも私は実は高校に友達が一人もいなかった。本当に一人も。入学して一週間後に気がついたらみんな私のことを空気扱いした。だから、高校に思い出なんてひとつもない。悔しいから大人になった今高校の思い出は抹殺してる。
チャイムがなれば顔を伏せて1秒、また1秒時間が経つことを祈りながら、寝たふりをする。誰にも見せても言えない見せてとも言われない宿題と、必要最低限の色しか入っていない筆箱を机の上に準備してただ時が経つのを待つだけだった。
行事は理由をつけて見学か早退、時には欠席もした。誰とも楽しみを分かち合えない身の丈に合っていない窮屈な学校だったとつくづく感じる。正直言って、今の私だったら耐えられていない気がする。あの歳特有の少しだけ強がってしまう雰囲気が三年間私を支えてくれてたのだと思うと改めて自分に
“よく頑張ったね、お疲れ様”
と労ってあげたい。

それでもこの3年を生きていけたのは特別な学校とは違うプラットフォームがあったから。AAAの宇野実彩子が中学生の頃から大好きだったのだ。
Twitterを始めて、タグ付けしてネットの上のお友達を作った。現場があるとみんなでお手紙交換をして、あの時の衣装が良いだの、あの頃のメイクが好きだの彼女に関しての愛を永遠に話していた。オタ友と呼ばれる中で私は最年少だった。一番仲良くしてくれていた子たちはみんな6歳上で私以外れっきとした社会人で学校では全く影のように扱われていた私をしっかりと可愛がってくれていた。高校の頃のバイト代は全て彼女のグッズとライブ代に一瞬にして変わった。それでも学校に居場所が全くなかった私は十分すぎるというほどすごく居心地の良い安心できる場所だった。

そんな私にも高校三年生の時、一瞬だけ学校に友達ができたことがある。それも一軍と呼ばれるようなキャピキャピとした明るくて可愛い女の子たち。化粧禁止なのにこっそりしてきたり、髪を巻いてきてしまったり、そんな子たちと仲良くできていたことが正直嬉しくて仕方なかった。
それも終わりが来てしまう。夏休み明けから、私の周りには友達は誰一人いなかった。この時期の女の子なんて気まぐれなんだな、と思いこむしかなかった。友達がいなくなってきて近くに迫った文化祭はずっと図書館にいて、出席だけ取って颯爽と帰宅した。ハロウィーンも特に何もなかったが学校を休んでなるべく早く冬休みが来るように祈るしかなかった。毎年そんな生活を送っていたはずなのに、一度でも楽しいと思った学校生活は去年よりもずっと辛く惨めなものだった。

一度嫌なことが起こると負の連鎖は止まらないもので、大好きだったオタク友達とも喧嘩をした。ラインで言い合ってしまいには一緒に行こうとしていたライブまでキャンセルするハメになった。今までは喧嘩をしてもすぐに仲直りできていたはずなのに気がつくともう私には友達が誰一人といなかった。もちろん歌から好きになっていたはずの彼女だったが、気がつくと応援する気力は何も残っていなかった。高校生卒業と共に彼女のオタクもキッパリと辞めることになる。

期待

そんな私も高校を卒業して美容の専門学校に通った。祖母が美容師だったのも美容師になろうとしたきっかけだがやっぱり一番強かったのは学校よりも社会に出たいという気持ちだった。ただやっぱり一度は心から許せる友達が欲しかった。そんな期待を胸に学校に入学する。思った5倍派手な子達だった。でも思った10倍優しい子達だった。
どうせ裏切るのかも。人を信頼できなかった私の理想を遥かに上回る彼女たちは毎日おはようと共に席に集まってああでもないこうでもないとずっと話していた。
「もっと早くに出会いたかったね。」
彼女たちに私の過去を話した時、そう言いながらただ泣いてくれて、怒ってくれてそれからもあの頃を時に笑い話にできるくらいにしてくれたことがすごく嬉しくて、人生捨てたもんじゃないなと思った。
親しか祝ってくれなかった誕生日も、行事ごとも全部全部宝物だった。うのちゃんが全てだった私に取って彼女たちはそれ以上の存在だった。毎日何も変わらない日常でも彼女らがいるとなんでもよかった。毎日眠たい目を擦りながら一緒に通学した日も、時にうざいなんて言い合いした日も、試験や就活がうまくいかずに泣いた日も全部が思いがけない宝物だった。
「卒業してもずっとよろしくね。」
泣きながらそう言った時、臭いセリフだなんていいながら
「こちらこそだよ。」
なんて彼女たちも泣いていたのだから。

青春なんて一生味わえないと思っていた。高校生の青春が私は延期されていただけだった。
20歳を超えた今でも多分きっと青春している。少し贅沢な青春。海外に行ったり、美味しいご飯を食べたり。
あの頃の私はきっと辛かったのだろうな。それでも今こうやってnoteを書いていて泣きそうになるのはあの頃の辛かった頃を思い出すよりも専門の友達と過ごした日々がピンクの夕日のように柔らかかった日々なんだよ。

今、学校に居場所がないそこのあなた。
大丈夫だから、今日だけはぐっすりと眠って。
人生は平等に作られている、はもしかしたら嘘かもしれない。私だって、まだまだこの人生不幸のことが多いよ。
平等に作られてはいないと思うけど、一生不幸なことはない。
下を向いてどんよりとしながら歩いていた日も泣きながら道路に飛び出そうとした日だって、枕を本気で濡らした日だって。私もあったよ。
それでもいつか小さい光がさすの。辛い経験をしたあなたはきっとその光を掴むことができる。人生うまくいくことのほうが少ないけど、どうかその傷を一生持ち越さないでくれるといいな。
あなたのことを好きだと言ってくれる人が必ず1人はいてくれることを願って。
これを読んでくれた人が少しでも明日からの人生に光が差しますように。



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