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例の発言を機会に、翻って自分のバイアスに気付いた話


現在、ジェンダーバイアスの発言をめぐって各所で議論が巻き起こっています。

いろんな言説・異論反論がありますが、つまるところ、性別だけでなく年齢やバックグラウンドという大きなくくりでレッテルを貼ってしまったり、個人の違いを無視して一律に決めつけてしまうところに問題があるのだと思います。

今回の件では、私自身は、バイアスをかけられる側(女性)でありつつ、そもそもバイアスに直接晒される機会が多かったこともあり、例の出来事をみて、げんなりしました。

とはいえ、この騒動でひっそりと思ったことは

「男性の方が、会議で黙ってて貢献しないこと多くないか?」

ということでした。

男性とひとくくりにしていて、個別の違いを認めていないのは私も同じでした。

私がそのようなバイアスを持つに至った出来事を思い返してみます。そうすると、同じ男性でも、会議で発言して貢献しようとしている人は複数いました。その事実を切り捨てて「男性は会議で黙っていて貢献しない」と思い込んでいたわけです。

私の中のジェンダーバイアス。バイアスをかけられる立場だったから、自動的にバイアスをかけないようになれるかというと、そんなことはない、ということにハッとしました。

個別の違いや、複雑な事象を丁寧に思考して発言するのは、根気がいります。そういったものをすっ飛ばして、軽率に一般化したほうが楽なのです。複雑なもの、漠然としたものは思考に負荷がかかる、だからこそシンプルな結論にひかれてしまう。脳も楽をしたいという誘惑に勝つのは難しいことなのでしょう。

ましてや、バイアスをかけられる側だと、バイアスで反論したくなるというのもあるのかもしれません。つい、同じ土俵に乗ってしまったということですね。

他人のバイアスは糾弾するけど、自分はバイアスを平気で使う。そういう状態だと、受け止める側も寛容になることは難しいでしょう。自分もそれに加担しているなぁという反省。

それでも。自分を尊重してもらいたいなら、他人も尊重する努力をしないと、個人を尊重しあえる社会には近づきません。脳がバイアスを使って楽したいという誘惑を我慢しつつ、まずはパブリックスピーチや職場でバイアスやレッテル張りを減らしていく努力をみんなでしていきたいです。

言うのは簡単ですが、本当にやり切るのはとても難しい。社会全体でとても大変なチャレンジをしているということをあらためて認識しました。

#日経COMEMO #NIKKEI

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