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自分をインクルージョンできていないことに気付いた2021年

今年は、Udemyにて動画講座「女性管理職からジェンダーレスなマネージャーへ。現役女性役員が語るキャリア講座」を公開しました。初めて女性活躍というテーマについてまとまったコンテンツを実名で発信しました。「女性活躍」というテーマで実名で発信・・・。本気でやろうとしたことがある方ならわかると思いますが、かなりの勇気が要りました。矢面に立つ恐怖、ということもありますが、それ以上に「私なんぞがやってもいいのか?」という葛藤の方が大きかったです。

外形的な肩書やキャリアでいうと適任と言われるのですが、一方で、結婚もしておらず、子育て経験のない、単に生物学的に女性であるにすぎない私が女性活躍について発信する資格があるのか、いう意味で、「私なんぞが」と思っていたわけです。

他人に言うと「は?」と。「そんなことに悩むのか」というリアクションで。そりゃそうです。私自身も、他人が同じようなことを言っていたら同じように思うわけですから。なんなら、男性が女性活躍の旗振りをするのを応援していますしね。

どんなプロファイルであっても社会課題に対して貢献していくことを、素朴に応援する気持ちはあるのに、自分に対しては「そんな資格があるのか」と思ってしまう。ダイバーシティ&インクルージョンが広がるといいな、と思っているのに、まさしく自分自身を一番インクルージョンできていない、という事実。それを乗り越えるのが極めて難しい。今だに根絶できていません。

これはなぜなんだろうなぁと。もしかしたら、就職活動から現在に至るまで26年という四半世紀にわたり、このテーマは自分の在り方そのものだったからかもしれません。社会の情報を内在化して、自分にレッテルを貼り、そのレッテルを苦労して引き剥がし、さらに別のレッテルを貼り、また引きは剥がし・・という営みが、自分を形作っている。時間の長さも、悩みの深さも両方の面で深く絡みついて一体化しているわけです。だからこそ、発信するという行動に出たときに、客観性が保てない方に引きずられていくのでしょう。

自分が女性活躍について発信する価値。そもそも渦中の存在であること、女性管理職として成功していること、自分の組織でたくさんのワーママを支援するために汗をかいていること。いろいろとありますが、なんだか言い訳っぽく感じてしまう。一方で、当事者ではない人が声を上げるのは本気で応援する。この矛盾を解きほぐすことはできていませんが、これがインクルージョンの難しさなのかもしれません。

ではどうすればいいのか。今、わずかながら変わってきているのは、周囲の人たちの言葉があるからです。言葉に出して言ってもらうことで、客観性が戻ってくる。言葉をかけてくれた本人たちにとっては小さなことですが、その小さな声掛けが、受け取った方の心を少しずつ解凍していく。思っているだけではなく、言葉にして受け渡すことには多大なる効果があるのです。きっとそうした小さな助け合いがインクルージョンを進める推進力になるのでしょう。価値観を自分ひとりで変えるのは難しい。だからこそ他人と助け合う必要があるのですね。

2021年はアフターコロナの初年度という感じでした。コロナ禍によって浮き彫りになった社会課題と、それに対して一歩踏み出す心境になる年でした。

今年、noteを読んでくださった皆様に、あらためて感謝申し上げます。


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