怒ることって必要?
こんにちは。ななです。
前回の投稿まで鬱のお話でした。今回は「怒り」について書いてみようと思います。
幼い頃から正義感が強く、とにかく不誠実、無責任なことが許せない性格でした。中学時代は部活で部長をしていたのですが、部内のルールが絶対と考え、破る人がどうしても許せず怒ってばかりいました。
学生時代はそれで良かったのです。学校や部活のルールを守れる生徒は「まじめ」で大人にとって困らない、「扱いやすい子」として評価されたからです。
大学を卒業して会社員として働き始め、憧れの花形部署に配属されるも挫折(このあたりはまた書きます・・・)。事務のチームに変えてもらって生き生きと働けるようになりました。外回りの部署にいたときから細かい事務作業が得意だった自覚はあったのですが、花形部署にいる人たちはみんなできていることなのだろうと思っていました。
しかーし・・
その憧れの部署の人達からまわってくる書類は誤字脱字ばかり。そもそもお客様に見せられる文字で書いてこない(たまにサンスクリット文字か!って人もいる)。平気で商品の金額が違う(自社商品ですよね?)。計算を間違える。質問してもたらい回しにされる。質問したらうるさがられる。
ここで怒り爆発。あんたらは、お客様にとって最高の商品を提案し、見積もりをとり、利益をあげる花形部署にいるのに、私が泣く泣く諦めざるを得なかった憧れの部署にいるのに!どうしてこんな事務仕事一つできんのじゃい!!正義感にかられ、後輩には直接指導、先輩にも直談判、部長であろうと噛みつきに行きました。
しかし、一向にミスは減りません。代わりに蓄積していくストレス。私の姿を見ている人には「言いたいことを言える人」「間違っていることを間違っていると言える人」と映っていたようですが、言いたくて言っているのではなく、言いたくなくても「言わねばならない」と駆り立てられていたような感じでした。
次第に増大していく自己嫌悪。私が間違っているのでは?正義感を押し付けているだけじゃないの?自己満足かも?社内で嫌われているんじゃないか?感情なんて殺して淡々と仕事すべきでは?
前回紹介した認知療法の本の「怒り」に関するページを読んでは、「これは自分を破滅させる怒りだから不要な感情だ!」と、今度は自分の感情を押し込めようと頑張るようになりました。
そしてある日。いつものようにまわってきた書類に目を通して、出てきた疑問を担当に聞くと、「知らねーよ」と一言。
何かかプツン、と切れてしまい、デスクにいる間は繕ったものの、昼休みも帰りの電車も涙が止まらず、そのまま会社に行けなくなり、また「消えてしまいたい」のループにはまったのでした・・・。
初めて自分から「お休みがほしい!」と直属の上司に連絡をし、社外で会って話を聴いてもらうことに。責任感のない人たちが許せない、でも自分の怒りも間違っている気がする。どうしてよいかわからない・・・。そんな私に上司からは意外な言葉が返ってきました。
「その怒りの感情は、大切にしてほしいな。」
え、大切にする?
怒りの感情をぶつけるでも、押し込めるでもなく、「大切にする」。それは自分にとって、正しいと思ってきたものを守りたいという感情であるから。
曰くその上司自身は、その場をうまく収めることを第一としてきたから、他人の言動に対して怒りのレーダーがあまり働かない。だから、私が怒りを感じたときには、それを教えて、私一人で戦うのではなくチームにとって役立つものにしてほしいと言うのです。
ぶつけても押し込めても自己破滅的になっていた「怒り」が、大切に思ってあげることで役立つものになる。怒ってもいい。自分だけのものにしなくていい。とても救われた気がしました。
「怒り」をコントロールしようとするよりも、自分が大切にしていたものに気づいてよ、というサインくらいに思って、まずはその感情を認めてあげる。私もまだまだうまくいきませんが、怒ってしまう自分を否定する必要はないと気づくことができたのは大きな一歩でした。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございます!もうすぐ梅雨明け!天気も気持ちも晴れ晴れする日が増えるといいですね!
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