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超訳『竹取物語』七 燕の子安貝

※この訳は超訳です。あえて原文通りの表現よりも俗っぽくしています。また、所々省略やアレンジを加えております。

なお、超訳にあたって、室伏信助氏の『新版 竹取物語 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫)を参考にさせて頂きました。室伏さんの訳に甘え、緻密さと筆力に脱帽しました。

七 燕の子安貝

 中納言石上麻呂足が、家来たちに「燕が巣を作ったら知らせて」と言ったので、家来たちは「またそれはどうしてですか?」と尋ねる。中納言、「燕の持っている子安貝を取るためなんよ」
「いや、燕をたくさん殺して見るときですら、腹の中にもないものですよ。……あ、けど、子を産むときどうやって出すのでしょうね? 腹に抱えてるんかな?」「人が少しでも見たら、なくなってしまいますよ」「そういえば、大炊寮(おおいづかさ)の飯炊きどころの棟に、柱のいたるところに燕が巣を作っております。そこに、忠義に溢れた家来を引き連れて、足場を高くして偵察させれば、たくさんいる燕が子を産まないはずがないです。この手法でいかがでしょうか?」
 これには中納言もお喜びになって、
「ええなぁ、それ。全く知らんかったわ。ええ話ありがとう」と言って、忠実な家来二十人ほどそこへ派遣して、足場に上がらせて配置させた。邸から使いをひっきりなしに飛ばし、「どう? 取った?」と尋ねさせる。
 燕はといえば、大勢登って潜んでいるのを怖がって、巣にも上がらない。この旨を伝えたところ、中納言、どうしたものかと思い悩んでいると、大炊寮の役人倉津麻呂(くらつまろ)という者、「良い作戦ありますよ」と参上し言って来たので、中納言ら額をぴったり突き合わせて対面した。
 倉津麻呂いわく、「今の子安貝の取り方、良くないです。これでは取れますまい。なんせ、足場に二十人も上がってますので、燕は離れるいっぽうで、近寄ってまいりません。さて、そこでですが、その足場を壊し、人はみな遠のかす、そして忠義溢れる者一人、籠に乗せて座らせて綱を用意し、燕が子を産もうとする瞬間に、綱を吊り上げさせて、さっと取らせる。これが良いでしょう」
「すんごく良い!!」と、中納言、すぐさま実行。足場は壊され、家来は引き戻された。
「燕はどのようなときに子を産むの? 引き上げのタイミングに必要な情報よね?」
「子を産もうとするときはですねー、尾を上げて七回廻って産み落とすそうですよ。この七回廻るタイミングですね、引き上げは」
 中納言たいそう喜び、誰にもそれを話さず、こっそりと大炊寮に行き、家来らに混じって、昼夜問わず張り込む。そして、倉津麻呂のことを高く評価し、「うちの家来でもないのに、願いを叶えてくれるなんて、なんてイイヤツだ」と、お召し物を脱いで褒美として与えた。「改めて、夜分に、大炊寮に来て」と帰してやった。
 日が暮れてしまったので、例の大炊寮に中納言は来て見てみると、あら、まことではないか、燕が巣を作っておる。倉津麻呂が言ったとおり、尾を浮かせて廻っているので籠の家来を乗せて、網で吊り上げさせて、巣に手を入れされてみるも、「何もありません」
「探り方が悪いからだ」と腹を立て、「私のほかに、一体誰が取り方を心得ていようか。私が上がって探ろう」と籠に乗って吊り上げられ、こっそり巣の中を覗く。すると、燕が尾を上げてひどく廻る。と同時に中納言、手を伸ばして探ると、手に冷たい感触が。その瞬間、
「なにかを握ったぞ! もう降ろしてくれ! 翁よ、してやったぞ!」と言うので、人々が集まり、早く降ろそうとするあまり、綱を引きすぎてしまい、ぷっつんと綱が切れるや否や、仰向けに転落。
 皆、思いがけぬことで仰天し、そばへ寄って中納言を抱きかかえるや、白眼を向いて気絶しておる。水をすくって口に入れると、やっとのことで生き返ったので、ゆっくり下に降ろし、
「ご気分はいかがでいらっしゃいますか!?」
「意識は……少しばかりはっきりしたが、腰がどうにも動かん。……だが、子安貝、握っておるから、私は嬉しい、ともかく、火をっ。この貝の顔を見ようぞっ」
 と頭を持ち上げて手を広げて見たところ、あったのは燕の糞だった。その際に、「……貝やないやないかい」と言ったことから、期待に反することを、「かいなし」と言った。
 貝じゃなかった、糞だったことを直視してしまったので、気分は塞ぎ、お櫃の中に入れそうなほど腰は折れ曲がってしまった。中納言は、子供みたいなことをして失敗したこと、それを人に聞かせないようにと意識し過ぎたせいで病に臥せってしまった。貝がとれなくなったことより、人に笑われるのを恐れて、精神をやられてしまった。
 これを聞いたかぐや姫は、見舞いにこのような歌を送った。
『年が経ってもいっこうにお立ち寄りになりませんが、波も寄らぬ住吉の浜の松ならぬ、待つかいもない、つまりはあの貝もない、と、うわさに聞いたことは本当なのでしょうか』
 この歌をそばの者に読んで聞かせた中納言、精神は非常に弱っていたものの、頭を持ち上げ、紙を持たせて、苦しみながらやっとのことで歌を書いた。
『あなたは貝なしと仰いますが、お見舞いを頂いた甲斐はありましたよ。その匙(かい)で、苦しみ抜いて死ぬ私の命を、掬い取ってくださいませぬか』
 と書き終えると、息を引き取ってしまった。
 これを聞いてかぐや姫は少しばかり気の毒にと思った。そんな経緯から、少し嬉しいことを「かいあり」と言うようになった。

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