見出し画像

付箋の星たち⭐︎



希望の種、希望の道、希望の光、希望の桜。
などなど……



「希望」って言葉は凄い。



この「希望」の言葉の後に続く言葉達がそれに導かれる様に、
それはとても前向きで見えなくなるぐらい遥か遠い遠い場所に向けて…

果てしない世界へ…
迷いなく、
ただ眩しいイメージに変身させる。








学生時代、親元を離れ、
一人で暮らし始めた頃、
私の部屋はマイワールドだと、なぜか長方形の小さな付箋に言葉をひとつずつ書いて、
部屋全体に貼りまくるという私の奇妙な行動がはじまりました。
壁や、電化製品とか、本棚、とにかく手に届く範囲に貼りまくっていました。
(流石に天井までは手は届かないので、天井と床以外です)


しかも、その長い付箋をなぜか私は縦に貼っていたので(笑)
多分私以外の人がこの部屋を見たら
一瞬小さな
「おふだ」にも見えたかも?しれません(-_-)

それこそ、訳あり物件から、身を守っているような部屋にもおそらく見えるであろう私の空間でした。
(おばけは出たこと無かったので大丈夫です)


私はだいたい出会う人からはなぜか「変わり者」とはどこの地域へ引っ越してもかなりの確率で言われていたので、
もしかしたら、そんな性質が発揮されたのかもしれません。




今思い返せば、その付箋に書いた言葉たちは、「希望」のある前向きな言葉だけだったなと思います。
そんな言葉に囲まれて安心したかったのかなぁ。
でも就職前だったので、当時は私の中での人生での世間の大変さとか、難しさとかはそこまでまだ経験無かったのかもしれません。

だけど、あの頃はあの頃で、それなりの深い悩みはあり自分が自分の足で立っていられる様に、希望あるものに囲まれていたかった気持ちから安心を求めていたのかもしれません。



就寝時に真っ暗にしたお部屋。

夜には、カーテンの隙間から、少し光が入って、付箋は影とうつり、

布団の中から見上げる部屋全体は、


付箋がいつしか星に見えました⭐︎
(そんな綺麗な星ではないけれど…)



私なりの独自の希望の星たち。

そんな星に囲まれながら毎日一日を終えていました。



だけど…
月日と共に

いつしか、そんな私の星たちは増えなくなりました。



当時は、長期の泊まり込みで、児童養護施設や特別養護老人ホームでの実習があったので、
家に帰ることも減り、
そして、いつしかバイトの日数も増えて、
身体もなんだかクタクタで…

だんだん「言葉」と向き合うゆとりもなくなりました。


いつしか、付箋の粘着力もなくなり、
星たちは床に落ちていき消えていきました…


私は自分の原動力であったものを、
いつしか時間のせいにして、
自ら捨ててしまいました。


今思えばやはり私は
希望のある言葉をなるべく綴りたいのが、
一番の根っこなのかなと思いました。
勿論、光も闇も、両方をとても尊重しています。

だけど最近は言葉をなるべく、希望のある言葉の方を少しでも増やしたいなと思うようになりました。
あの頃付箋に書いた言葉たちのような…

私は子育ての経験がないので
全く偉そうな事言える立場ではないですが、
妹のお腹にいる時から今までの
四人の姪っ子や甥っ子たちの成長していく姿をみてきました。
可愛くて仕方なくて…
やはり子供は明るい未来を見つめながら
安心して過ごしてほしいと
月日が経つごとに想いはどんどん強まり…

だから希望ある言葉から
未来を信じてほしいなぁと。


希望の言葉も
その人の価値観によって全く違うと思うので、
その人にとって一番近い希望の言葉を見つけられるような人になりたいと思いました。
出来るだけ、穏やかで優しい言葉を…






最近言葉から学んだ事は、
ひとつの言葉だけでなく、
その前後の言葉にも力をどんどん借りて、与え与えられの関係で、
重なりあった言葉達が一つになって
パワーアップすると凄いと思いました。

それが例えば最初に書かせていただいたような、
言葉だったり…



それによって、
言葉でも化学反応が起きて、
ひとつの言葉だけの存在じゃなく、
互いが互いを(言葉と言葉同士が)尊重するように輝かせて…
変幻自在な言葉へと変身させて…
そんな言葉を綴ったり、口頭でも言葉として発する事が出来たら良いなと思う日々です。
まだまだ修行の身なので、
そんな技は全くないですが…
そんな力を身につけていきたいです。


人と人が寄り添うことで大きな安心とか、
大きな力になるように、


言葉と言葉も寄り添えばとても大きなものになるのではないかと信じています。




自分の信頼できる言葉を
出来るだけ手繰り寄せて、
ココロへ移行させる。


言葉は目に見えないからすぐに消えてしまうことも多くあります。
特に私は忘れやすいので…


だけど、
本物の言葉、信頼している言葉は
消えることはおそらく今の所…(この先はわかりません)ないので、
いつも側にいてもらっています。

私の中では
本物の言葉は
「家族」の様な存在です。
見守ってくれるし、支えてくれるし、きっと見捨てられることはないだろう?と思います。

変わることのない存在。

だけど、
どれだけ側にいてくれても
味方になってもらったとしても
応援してくれたとしても

最後に歩き出すのは、

やっぱり私で…


私のココロで…



だから私は心と共鳴する言葉を探しに
ありのままの自分でいられる為にも、
日常という生活の中で
冒険してるのかな?と最近少し感じたりしています。
私自身もきっと月日と共に進化していると思うので
必要な言葉もその都度やはり変化していて…




だけど、言葉ばかりに
偏る人生も
そろそろどうかな?とも思い始めました。




私はかけがえのない存在の方と出会えました。

言葉だけでは決して見つけることも感じることも出来なかったことを教えてくださりました。


導いてくださったり
一生懸命自分の事かの様に考えてくださったり、
私と違ってその方は物凄く何事も一生懸命で、
自分の力でしっかり自分の答えを探して見つけて
だからこそ
言葉を飛び越えて、
言葉のない、
透明な温かい気持ちは日々心を通じてそのまま私の中に入ってきます。
胸が詰まりそうになる位の喜びってこんな感情なんだなって。
ここまで生きてこれて本当に良かったと心底思いました。
本当にありがとうございます。


私が欠けているのは、
きっと
感情なんだなと思います。
あと、思考とかも。



これからは
付箋の星たちでなく、

優しい気持ちになれるように
人の気持ちを理解できるように

心豊かな
感情の希望の星たちを
増やしていきたいと思います。


そんな140字のココロ写真に変化していけるようにしたいと思います。





だけど
この先も、気まぐれにひとりブツブツボソボソ…ブツブツボソボソ…と
(´ε` )
流石に長年ボソボソ呟きすぎて口がそろそろ、
とんがってくるんじゃないか???と
恐れている今日この頃です∑(゚Д゚)







( ̄3 ̄)













それでも、ここで読んでくださる方がいらっしゃる事、
温かいお気持ちで見守ってくださる方がいらっしゃる事、
本当に感謝申し上げますm(__)m
改めまして、いつも有難うございます。



この歳まで知らなかったことを
私なりのまだ狭い角度からですが
色々な方の素敵な記事を拝読させていただきまして今も学ばせていただいています。
いつも、ありがとうございます。



なんだかまとまりのない記事で申し訳ございません。
本日も読んでくださって本当にありがとうございました(o^^o)




みんなのフォトギャラリーからお借りしました。
春田みつき様ありがとうございます😊

この記事が参加している募集

最近の学び

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?