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双極性障害と診断されるまで

どうも イトです!

最後に記事を書いてからかれこれ10ヶ月が経っていました。私は、活字を読み書きする余裕すらなくて、ただ日々を乗り越えることに必死になってしまっていました。その間のことをここに記録します。

まず、一人暮らしが破綻したこと。
私は自分が思っていた以上に生活力がなくて、洗濯も掃除も料理もできず、そして頑張ることもできず、生活が出来なくなってしまいました。

それでも母に頼ることができませんでした。
それは、負い目があったからです。
母は私を信用して出してくれたのに。
私は母にとって「しっかりしてる子」のままでいたかったんです。

7月からは、バイトも行くことができず、大学も単位ギリギリで耐えて、それ以外はベッドから出られなくなりました。なんとかボランティアには行っていたけど、正直疲れすぎてその日から1週間はろくに外にも出れませんでした。お金はないのにご飯はUber。変な時間に起きては変な時間に寝る、そんな生活をしていてずっと体調が悪かったです。

そんな日々を過ごしてる時にふと「シェアハウスに引っ越そう」と思い立ちました。(私はいつも衝動的なんです)
理由は曖昧です。このままじゃダメだと思った。ただあの家から出たかった。人恋しかった。(1週間誰とも話さず、声の出し方を忘れたりしてました笑)

その後の行動は早くて、良さそうなシェアハウスを見つけ、内覧に行き、即決で契約しました。引越しも2週間程度で済ませて、12月中旬に正式に入居ました。
シェアハウスの人たちは私の歓迎会をしてくれたり、ご飯をお裾分けしてくれたり、美味しいお酒を教えてくれたり、クリスマスパーティーをしたり、私をすごく歓迎してくれて輪の中に入れてくれました。

私は大学入学から人の輪に入れたことがなくて、というか輪に入ることを恐れていました。
大学も行ったり行かなかったりで友達とも疎遠になり、いつしか自分から人と関わろうと思う気持ちも薄れていきました。

それはとても悲しいことだったと思います。

ですが、当時はそんな悲しさにも気づかず、「私は1人が好きなんだ。1人でも生きていけるんだ。」と本気で思っていました。

ですが、それは間違ってるなとシェアハウスに引っ越してから気がつきました。
私は本来、人と関わることが好きだ、ということを思い出したのです。
そして、みんながすごく明るくて社会人を楽しんでる感じがして、こういう大人になりたいなと強い影響を受けました。

それからはちゃんと洗濯や掃除もできるようになりました。(洗濯物は洗濯機にそのままにしてると勝手に出されます笑。掃除も当番が決まっていて、やらないとバレます笑。)

大学にも順調にいけるようになり、無事、大学一回生を終えることができました。
春休みは実家に帰り、高校の時の友達と楽しく過ごしました。

そして、二回生が始まりました。

最初は順調だと思いました。
毎週一回も休まず講義に出れていたし、何よりサークルの部長になりました。

先輩からオファーが来て、先輩は私がろくに大学にも行けず、サークルもそんなに参加していないことに気づいていないのかな?と不審には思いましたが、私は即決しました。
きっと何かに役に立つ。そう前向きに捉えていました。

しかし、実際は想像以上に大変でした。
まず、新入生が入ってくるまでは部員20人ぐらいの小規模サークルでしたが、新入生がなんと40人も入ってくれて、大規模になりました。
それに伴って、仕事の内容も量も変わり、先輩も「何かわからんことがあったら聞いて!」と言ったっきり。私にとっては何もかも分からないのになぁと思いながら、部員に迷惑をかけるわけにはいかないと、なんとか仕事を頑張りました。

でもそのエネルギーもなくなり、5月中旬。ちょうどゴールデンウィークが終わった頃から徐々に大学に行けなくなり、部屋から出られなくなり、シェアハウスの人からも「生きてるか心配になった」と言われるぐらい生きてるのか死んでるのかわからない1ヶ月を過ごしました。

全く1ヶ月も大学に行かなかったことは今までなかったので、流石に教授から「一度面談をしましょう」とのメールが来ました。

正直行きたくなかった。というか行けないと思いました。

外に出るのが怖い。
電車に乗るのが怖い。
話しかけられるのが怖い。

そんなふうに思いながら、でも断るわけにもいかず、なんとか面談を受けました。

久しぶりにまともに人と話す。
心臓が爆発しそう。

教授の部屋に入って椅子に座る。
教授が私の目の前に座る。
私は自分の膝を見たまま前を向けずにいる。
教授が私に話しかける。

教授が言ったことが何を言ってるのかさっぱり分からない。
日本語には聞こえる、でも何を言ってるのかわからない。
言葉を生成できない。

教授との面談は壊滅状態でした。

その時、初めて「病院行ったほうがいい」って思いました。

6月中旬、クリニックに行きました。

「どうされましたか?」と聞かれて
私はまた言葉を発することができませんでした。

質問に頷くだけ。
これまでのことを単語で、断片的に答える。

本当はもっと伝えたいことがあるのに!!

先生は「双極性障害と社交不安でしょうね」と言いました。


私は何も言ってないのになんでそんなこと言うの?!!!
私のこと何も知らないくせに!!!!

絶対違う。と思う反面、

そう言ってくれてよかったと思いました。

これで私はただの甘えじゃないって証明されたような。

薬を飲んだら、びっくりするぐらい安定して
やっぱり自分はそうなんだ、と確信できました。

なぜが嬉しかったです。

夏休みまでなんとか大学にも行けて、半分は単位を取ることができました。

そして夏休み。
私は今も実家にいます。
極めて絶好調でした。

ですが、実家に帰るからと多めにもらっていた3週間分の薬を一気に飲み、救急搬送されてしまいました。

その時のことはあまり覚えていません。
私は苦しかったのかな?悲しかったのかな?
私は私の気持ちが分からないです。

点滴の後がまだ残っている。

もう痛くはないけど、残っている。

私の心にも、もう痛くない傷がいっぱい残っているのかな。
痛くないって感じてるだけで、本当は痛いのかな。

私には心を病むきっかけが何もない。
そう思っています。

母にも友達にも恵まれている。
今したい勉強ができる環境にある。

私は何が気に入らないのかなぁ。

でも、きっとそういうことじゃない。

気に入らないから病んでいるとかではないと思う。

私は元より気にしいで、自分を褒めたり認めたりできなくて、周りの評価ばかり気にして、それで疲れてしまったのかな。

そう思うことにしています。

他人を気にしてしまうのは、自分に自信がないから?

でもどうやったら自分なんかに自信が持てるんだろう。そもそも自信ってなんだ?

まずはそこから考えようと思います。

ゆっくりでいい。
そう母は言ってくれます。

私は本当は急ぎたい。
でも急いじゃだめだ。それじゃまた他人のペースに飲まれてしまう。

「私は私だ」

って心から思えた時、何か糸口が見えるチャンスだと信じて、今はゆっくり、でもしっかり生きていこうと思います。

ではまた!

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