8月20日の日記のようなもの

ペットボトルのラベルを剥がすのは好きだが、ペットボトルを捨てるのは嫌いだ。だからワンルームの床にはいつも裸のペットボトルが転がっている。

床すらきれいにできないダメな人間であることは知っているが、その一方で、今日も自分が何もかも正しいと信じて疑わずに1日が過ぎて行った。

2021年春クールのベストドラマは間違いなく大豆田とわ子だろう。久しぶりにドラマに熱中した。スマホも見ずにテレビにかじりつき、学びが多いとメモを取り、そして涙した。ある人が「大豆田とわ子は名言ボットドラマだ。」と言っていたが的を得ていると思う。ダメだけどどこか憎めない愛嬌のある登場人物たちが、唐突に名言を放つ。すごい名言ばかりだった。油断すると名言が飛び出した。どんな名言があったかは、思い出せない。

最終話を見終えて、感動冷めやらぬままに同時期のドラマ視聴率ランキングを見たら、大豆田とわ子は11/12位だった。信じられない。上位は刑事ものやドラゴン桜だった。シンジラレナーイ。

しかしこのようなデータは自分を客観視できるので大変興味深い。明らかに自分の周りの人で大豆田とわ子を話題にしている人は多かった。当時僕がSNSで観測する限りでは最も流行っているドラマに思えた。しかし実際のところは11位なのだ。自分がいかに同質性の高い偏った世界を生きているかがわかる。お前、自分が世界の中心で、自分の考えが世論だと思ったら大間違いだぞ。

もし自分が有名なドラマ脚本家になったとしたら、人生をかけて培ってきた自分なりの悟りのようなものを脚本に散りばめ、登場人物に語らせたい。「これが俺の人生だ」と言わんばかりに。
だけど結局のところ、どうしたって刺さる人には刺さるけど刺さらない人には刺さらないということも、わかっておかなくちゃならない。さらに言えば、小学生の僕はドラゴン桜をかじりつくように見ていたけど、今の僕はちっとも興味を持てやしない。そういうこともわかっておかなくちゃならない。つまり、誰かに振り向いてもらうことって、それくらい不確実で不安定なものなんだ。

もし自分が有名なドラマ脚本家になったとしたら、仮に視聴率で負けるとわかっていても、僕は大豆田とわ子のようなドラマ脚本を書きたい。ドラゴン桜の脚本は書けたとしたって書きたいとは思わない。

なるほどつまり、僕の価値観は、より多くの人に何かを届けるという"規模"よりも、自分が作りたいものを作るという"中身"の方に、本当のところでは比重が置かれているのかもしれない。だけども人生経験が不足しているからか、何をやるにもついつい"規模"ばかり見てしまう。早いところ"規模"をゲットして、"中身"の道に入りたいものだ。

と、久しぶりに日記を書いたと思ったらすぐ人生や価値観の話をしたがる。壮大な人生か!
もう27歳になるのだから、もう少し肩の力を抜いて過ごしたいとは思っている。

今週、毎日日記書きたいと思いながら毎日ワンピース読んじゃってたので、今日やっとかけて嬉しい。別に何を書くでもないけど、これくらいの文量でも好きに書くと楽しいね。

壮大な人生を生きているらしいので、毎日壮大な気づきがあるはずだし、そういうのを書き散らして、ふと読み返してバカだなあ自分。とほくそ笑む遊びをしていきたい。

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