瑣末なクエスト
私は、必要に駆られないと基本的に動かない。
良くないなと思いながら、面倒くさがりな性格は簡単には変わらない。
私はいま、警察署に来ている。といっても、犯罪に手を染めたわけではない。小さな過ちは数えきれないほどあるけれど、警察に逮捕されるような重罪は犯していない。
では、本日の警察署への用件はというと、なんてことはない、運転免許の住所変更である。
今年の4月に引っ越してから1か月半、やっと記載住所の変更をしに来た。住民票の住所は引っ越してすぐに変更したのだけれど、運転免許の住所まで変更に向かうのは私には荷が重く、ここまで放っておいたのだ。
ところが、先週、ついに運転免許の住所変更をしなくてはならない場面が訪れた。
もっとも、いずれ変更しなければならないのだから、さっさと変更すべきなのは言うまでもない。
それは、家の近くの図書館に行ったときのこと。
休日、新たな住まいの近くを散策していると、ぎりぎり徒歩圏内(自転車なら気軽に来れそう)に市民図書館があることに気づいた。
館内は結構広く、作業できるスペースもあって居心地が良さそうだ。これは定期的に通うことになるかもしれない。
せっかくなので、何か1冊借りて帰ろう。そう思った私は、以前から読みたいなと思っていた、好きなミステリー作家の新刊を手に取り、カウンターへ向かった。
カウンターでは、なんとも優しそうなお姉さんが対応してくれた。私より少し年上に見える。20代後半くらいだろうか。
私が初めて利用しに来た旨を伝えると、これまたなんとも優しそうな声色で、聞かれる。
「それでは、本図書館の利用者カードを作成いたしますね。何か、ご本人確認できるものはお持ちですか?」
私は財布の中の運転免許を出しながら、ここで気づく。
「あの、最近引っ越して、住所の記載がまだ変わっていないんですけど、、」
「あ、そうなんですね。実は、大変申し訳ないのですが、当館の利用者カード作成には、お名前とご住所を確認できるものをご提示いただいておりまして。ほかに何かお持ちではないですかね、、?」
私は一応財布の中のさまざまなカードを確認するふりをするが、そんなものはお持ちではなかった。
「すみません。ほかに無いので、運転免許の住所を変更してから、また来ます。」
「そうですか、、分かりました。大変申し訳ございません。またお待ちしておりますね。」
お姉さんは何も悪くないのに、私の怠惰のせいで、申し訳ない気持ちにさせてしまった。
もう少しちゃんとしなければと、こういうときに思う。
なお、ちょっと曇ったお姉さんの顔も麗しいなと、少しだけ見とれてしまったのは秘密。
というわけで、図書館に再訪するというお姉さんとの約束(もちろん、私が一方的に思っているに過ぎない)を果たすために、運転免許の住所変更が必要になったわけである。
あの日から、市役所に行って住民票の写しを貰うという、私にとってはなかなかの一大行事を経て、今まさに、警察署にて運転免許の住所変更をするというラストミッションを終えようとしている。
ミッション完了を待ちながら、この後のボーナスステージに思いを馳せる。この後もう一度、図書館を訪れる予定なのだ。利用者カードを作れたら、やっと例の新刊を借りることができる。
「熊川さん。熊川 珠紀(くまかわ たまき)さん。お待たせしました。」
警察署のお兄さんの声で現実に引き戻される。様子を見ると、私が妄想世界に行っている間、何度か声をかけてくれていたようだ。申し訳ない。
戻された運転免許を見る。裏面に新しい住所が記載されている。
ミッションクリアの証明書とともに、私は再度図書館を訪れた。
そして、例の新刊を手に、カウンターへ。
「あ、この前の!」
声に反応して顔を上げると、カウンターにはあの麗しきお姉さんがいた。
「運転免許の住所、変更されたんですね。その本、いま結構人気なので、お姉さんが次にいらっしゃるときにほかの人に借りられていないか、気になっていたんですよ。良かった。ではさっそく、利用者カードを作りますね。」
麗しき笑顔にやられそうになる。お姉さんが私のことを覚えていてくれたなんて。
思わぬ追加ボーナスに、嬉しさをこらえきれない。
おそらく顔がにやけていたのだろう。お姉さんが怪訝そうな様子で声を掛けてきた。
「ど、どうかされました、、?」
「あ、いえ、なんでも。すみません。」
図らずもまたお姉さんを困らせてしまった。
そして思う。この顔もまた麗しきかな。
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