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コロナうつ、ヤギさん、生きてるだけで褒められたい。

こんな時だけど、友人たちと一緒に動物園に行った。
雨の日だし、すれ違う人もまばらな、密とは無縁の空間だった。

動物を見るのは本当にひさしぶりで、そのフォルムとか、匂いとか、ひとつひとつの動作に癒された。餌を食べて、かゆいところを掻いている姿だけで「かわいい」を連呼してしまう。

いいな、と思った。動物は「ただ生きる」だけで価値を創出している。

私もただ生きているだけで褒められたい。餌食べて、ぼーっとして、寝て、時々起きて、のそのそ動いて、ぼーっとして、寝て。それだけでいいよって言ってあげたい、自分に。

頑張らなくてもいい、より良くならなくてもいい、高みを目指さなくていい、自己実現しなくていい、生きているだけでいいよ、って。

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つらいけど認めざるを得ない。さいきんちょっと、多分、プチコロナうつだ。

前みたいに元気がでない。元気な時もあるけど、時折つよい落ち込みと、閉塞感と、なにか、人生がまったく前に進んでいないという焦燥感に襲われる。

コロナ禍中で、私はただ、生きることしかできない。
生きることしかできないとき、自分の命に根源的に価値を見いだせていない人間は、弱くなる。

今日、のそのそ動く動物たちを見て、生きてるだけで可愛いと思った。なのに私は、自分は生きてるだけではいけないと思い込んでいる。

今年の私は、立てた目標がことごとく達成できない。旅行にも行けない、去年から何も成長してない、私はいま本当にただ生きているだけだ。そのことが何よりもつらく感じられる。よくなってないから。成長してないから、頑張ってないから、頑張れてないから、進歩してないから、とまったままだから。

でもそもそも、良くならなきゃいけないの?

やりたいことができないのは、つらいよね。コロナでみんなかなしい。でも、べつになにもしない時間があってもいい。生きてるだけでいい。生きてるだけでえらい。


朝起きた、顔洗った、ご飯食べて、ゴミ出した、着替えて、掃除機かけて、空気入れ替えて、歩いて、待ち合わせ場所まで行った、友達と会って、お喋りした、遊んで、ご飯食べて、動物さん見て、おうち帰ってきて、ごはん作って、食器洗って、勉強して、わたしってめちゃめちゃえらいな。

生きてるだけでめちゃめちゃえらいのに、プラスアルファの価値を生み出そうとしている。

そうだ、春からずっと、今年はもうコロナで身動き取れないって分かってた。だから計画的なわたしはすぐに1年の目標を立て直した。沢山本読む、勉強する、映画を観る、コミュニティを増やす…

今年起きるはずだったなにか、奪われたなにかを必死で取り戻すかのように、平日の夜も土日も毎週スケジュールぱんぱんにして、頑張って頑張って頑張ってきた。

あぁ、だからつかれたんだ、きっと。


動物園の動物はえらい。生きてるだけでえらい。本能に正直な姿はかっこいい。ずっと、ぼーっと見ていたくなる。なにもしないで。

あぁ、わたしつかれた。

あしたはぼーっとしよう。そうしよう。


コロナ禍をポジティブに捉えようと言う人がいる。私にとってたぶんこれは「だらだらする」「なにもしない」「やすむ」の練習期間なのだ。

飽きるまでぼーっとしよう。そうしたい。飽きたら、その時最初になにをしたいと思うだろうか。
それを見るのがちょっとたのしみで、そう思うと、飽きるまでぼーっとするのもわくわくしてくる。

コロナでしんどいあなた、みんな、そしてわたしへ。生きてるだけの人生、万歳🙌

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(ただ座っているだけのヤクシカ。見習いたい)


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