年月経ってもnoteが繋ぐご縁
またまた放置プレイを楽しんでしまった。
ごめんなさい。義行。寂しかったかい?
きっとほんと寂しかったんだね。
お盆に、久しぶりにお墓詣りに行った時に焚いた、線香の煙が臭かった。
シャボンの香りって書いてあったけど、到底シャボンの香りとは思えない…
何かのメッセージを…
そう…伝えたくても、もう伝えられない人間の雄叫びって、あんなに匂いなのかもしれないね??
それからさ、
「えっ!!なっちゃんって大川さんの娘さんだったの!?」
って、もう既に友達になって一年くらいの人に言われて、感涙されるという事件が起こったり。
そのお友達のお父様も演劇人で、よく義行がそのおうちに遊びに行っていたらしい。酔いつぶれた義行を、友達が送り届けてくれたこともあったそうだ。なんて迷惑な奴だ。
先日は、昔父に仕事の面倒をよく見てもらっていたという、元NHK千葉放送局のアナウンサー『高橋はるえ』さんという方から突然電話が来た。
はるえさんは20代の頃、そして50代の頃と、ことあるごとに義行に仕事のアドバイスをしてもらった ということだった。
そして今回は新たなチャレンジとして、スカイウェイブFMという放送局でラジオパーソナリティを始めるというタイミングで
義行を思い出して電話をかけてみたところ「この電話は現在使われておりません」というAIボイスにあしらわれてしまったということ。
そう、父が亡くなったことをご存知なかったのだ。
そこで、ネットで検索していたところ、なんとこちらのnoteを発見してくださったのだ!
私の文章を読み
「さすが大川さんの娘さん!」
と思ってくださったことには、素直に嬉しさを隠せずニヤニヤしてしまった。
そして、ラジオで父の追悼番組をやりたい!
と思ってくださったはるえさんは、劇団ルネッサンスを引き継いでくださっている、父の親友でもあるオダカさんに、まず連絡を取った。
快諾したオダカさんに
「なつみさんにもオファーをかけたいと思っている」
と言うと
「なつみちゃんはどうかなぁ?」と答えられたそう。
無理もない。
最後の小高さんにお会いした時の私は、閉じていた。
味噌汁を作った時に頑なに開かないアサリのごとく。
もともとナイーブな私は、あの父の葬式周辺、さらにナイーブさに磨きがかかり、ちょっとした悲劇のヒロインみたくなっていた。
オーラ判定などをもし受けたら、ドドメ色だったのではないかな?
ところがどっこい現在の私は、いろいろな試練を乗り越え、羞恥心というものが僅か3g程度になっている。
だからもちろん答えはYes!
やるよ!はるえぴょんとオダカーンと楽しい番組を作り上げたい!
話はここで終わりではない。
一回深呼吸するなり、水を飲むなりしてから続きを読んで欲しい。
はるえぴょんと話していくうちに、すごく話は盛り上がり、私の才能を眠らせておくのは勿体無い!という、当たり前の話をはるえぴょんが持ち出して来た。
そして、興奮したようにはるえぴょんは言った。
「追悼番組が終わった後も、私と一緒にパーソナリティをやりませんか?」
と。
これまた答えはYes!
なんだ、この流れ!めっちゃ楽しそう!!
ということで、私はスカイウェイブFMのラジオパーソナリティになっちゃいそう!!
https://www.892fm.com/
はい、ここで、また休憩を挟み、おまけを読んで欲しい。何度もかたじけない。
話は戻って、このnoteを綴っていたお陰で、何十年ぶりかで再会できた人が、他にもいたのだ。
それは、一個前の記事の、個展開催のお知らせを書いた直後の出来事だった。
ちょっと説明が大変なので、わがままを言わせてもらい、まずこの記事を読んでもらえると助かるのだが、この神谷伝兵衛のワイン製造所(牛久シャトー)に行ったら、何十年も経っているのに『夢のワインランド』のポスターが貼ってあったことで「義行さんどうしてるのかなぁ?」と、検索してくれたえっちゃんが、noteに辿り着き「え?あのなっちゃん?なっちゃんが個展やるなら、行ってみよう」と、会いに来てくれたのだ。
えっちゃんの家族とは、昔、親戚のように密に付き合いがあった。
私が中1の時に母が入院した期間は1ヶ月も、えっちゃんの家にお世話になったのだ。
そんなえっちゃんが、たまたま見つけたと言って、私に会いに来てくれたってわけだ。
それこそ、20年以上ぶりの再会だった。
こうやって、時々線香から独特な匂いがすると、義行がミラクルを運んでくるのだ。
(その時は『緑茶の香り』のお線香がトイレの芳香剤の匂いだった)
neteを書いておいてよかった!と思うし、またこうして今日書いた記事が、新たな面白い出会いを運んできてくれるかもしれない。
それではまた、気まぐれに、お目にかかる日まで。
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