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わたしが影響を受けた人。西部邁について。

たまたまYouTubeを観ていたら、本要約チャンネルに辿り着いた。

ぼくはわりと本読みは好きな方で、人に勧められると基本的には何でも読むタイプなので面白そうだと思い、少しばかりチャンネル探索をした。

そんな時に見つけた「大衆の反逆」解説動画。

「大衆の反逆」はスペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イガセットが書いた名著である。

日本でも西部邁や中島岳志などの保守思想を持った人物に特に愛されている。

わたしもオルテガや大衆の反逆にはかなり影響を受けた。

厳密には「大衆の反逆」に影響を受けた西部邁に影響を受けたんだがそんなことは関係ない。

大衆の反逆も西部邁の大衆への反逆も当然読んだ。

なのでワクワクしながら観た。

しかしその要約があまりに酷くて笑ってしまった。

もう批判内容を全て書いたらきっと本一冊分くらいになりそうなのでやめておく。

この大笑いのこんこんちきな動画はさておき、わたしが影響を受けた西部邁という人間をちょっとだけ語りたい。

わたしは普段ネットで第三者について書く時は極力敬称をつける。

〇〇さん、様、先生、社長などなど。

しかし、西部邁は西部邁と書く。

それは西部を例えばオルテガ、チェスタトン、トクヴィルのように歴史の偉大な思想家、学者と同等に見ているからあえて呼び捨てに書くのだ。

本間奈々のようなこんこんちきな人間にも敬称は付けないが、理由は天と地ほどの差がある。

とはいえわたしは西部邁とは政治思想が合わない。

彼はいわゆる反米保守に分類され改革を否定していたがわたしは親米保守に分類されるし改革も肯定してきた。

政治界隈にいた頃の、中條戒としてのわたしを知る者からしたら「こいつが西部邁から影響を受けたなんて嘘じゃないの?」と思われそうだ。

でもわたしは西部の影響を受けている。

それは政治、経済、宗教、思想、哲学、芸術、音楽それだけでなく物の見方、感じ方、捉え方全てにおいてわたしは西部ならどう考えるだろうかと想像する。

西部からはやれこの政策がどうとかこの学問はこうだとかそんな小さな結論ではなく、答えに行き着くプロセスや感じ方を学び、影響を受けた。

オルテガが唱えたような「大衆」に流されない、物事を正しく疑って考え、そして筋が通った自分の信念をしっかり持つ。

まだまだ出来ていないが、わたしが西部から学んだことは簡単にいうとこんな感じ。

西部は政治経済だけでなく映画や音楽なんかにも造詣が深かった。

彼は小津安二郎を愛していた。
わたしも彼の影響で小津安二郎の東京物語や晩春を観て感動した。

一方で彼は黒澤明や三船敏郎を「わざとらしさ」という点で批判していた。

わたしはむしろ黒澤明は好きなのだが、西部らしい批評もまた好きだった。

自分の意見と合ってるとか間違ってるとかそんな小さなことではない、もっと深い部分で彼の思想に共鳴していた。

また、西部は佐高信などの左翼と呼ばれる人達ともよく交流していた。

最近の政治界隈は少し意見が違うと「おまえはネトウヨ!おまえこそ在日、反日!」と罵り合いをしている。

西部がこの界隈にいた頃はまだ楽しかった。

議論ができた。

彼が死んでそれもなくなった。
なのでわたしは抜けた。

そういえば西部は北海道の片田舎出身で、10代の頃は吃音症に悩み、その後東京大学に入学後は共産主義同盟(ブント)の要職について安保闘争を戦った。

晩年西部は保守の立場から安倍政権を批判し続けていたが、つまり西部は保守としては安倍と、左翼としては岸信介と戦ったわけである。
何とも面白い運命の巡り合わせか。

そんな過激な左翼運動の中でだんだんと左翼の妄想に近い理想主義の欺瞞や社会主義の矛盾を嫌になって彼は左翼運動からフェードアウトした。

東大経済学部の教授を経て評論家として再登場した時には保守思想家になっていた。

なかなか面白い経歴だ。

最近の自称保守(虎ノ門や文化人放送局に出ている連中)には彼のような面白い経歴がある人間いない。

こういう経歴ひとつとっても面白い人だなぁと思う。

話は変わるが、西部がまだ生きていた頃、わたしはよく新宿の歌舞伎町で仕事をしていた。

その頃は西部もまだゴールデン街にふらっと現れては朝まで酒を飲んでいた頃だ。

一度、ゴールデン街の酒場で西部邁の娘さんとはお会いしたが、もう3〜4年も昔のことだ。

一度お会いしてみたかった。

もう彼ほどの偉大な思想家は現れないだろう。

改めて、ご冥福をお祈りすると共に、感謝の意を共に込めてありがとうございましたと言いたい。

コロナが明けたら、彼が愛した酒場を巡る旅もしようと

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