笑っていいとも最終回はテレビが死んだ日

※妄想エンターテインメント記事です。

笑っていいとも最終回で大御所芸人たちが一同に集まって話題になりましたが、その日を境にテレビ局や番組が終わりました。

ここからテレビのオワコンが進みましたが、テレビマンはいいとも最終回を神格化しすぎて気づけないんですよね。

わかりやすく、人気バスケマンガ「スラムダンク」で例えますか。

スラムダンクはバスケ初心者の桜木花道が努力と根性で全国大会で強豪校を破り、怪我してリハビリ中にエンディングを迎えます。

スラムダンクが人気マンガとして語られている背景に、強豪校を倒した桜木花道が怪我してリハビリをしている点にあります。

もしも、全国大会優勝してもすごかったマンガとして語られますが、怪我してリハビリで完結したことで、読者の中でストーリーが続きます。桜木花道が復活して三年生で全国大会優勝するのか、準優勝で終わるのか、はたまたNBAに挑戦するのか。

つまり、読者の中でスラムダンクは過去のマンガではなく、未来のマンガとして連載されるわけです。その読者の予想を上回るマンガは伝説の作品として生き残るわけです。

観客の時間軸を制する者がエンターテインメントを制する、みたいなもんです。

この過去か未来かという視点は情報過多のエンターテインメント業界で、絶対に必要な視点なんですよね。

プロレスはいわば完結しないマンガなわけで、ギミックというストーリーの仕掛けがあるからこそ、人気レスラーが引退しても続くわけですからね。

笑っていいとも最終回に話しを戻せば、それまでのテレビ番組はとんねるずとダウンタウンの共演、笑ってはいけないで石橋貴明が松本人志のケツを叩く実現不可能な未来を語れました。

しかし、笑っていいとも最終回で共演してしまい、実現不可能な未来が現実になってしまったんですよね。

もしも、この最終回からたびたび共演して笑ってはいけないにとんねるずが出てきても、その先に待つ展開は色褪せていくVUITTONの財布でしかない。出オチなんだよね。

学生時代あれほど欲しかったVUITTONの財布だが、金を持つと買えるからね。すると、VUITTONを買う価値はなくなり、その価値に飽きて新しい価値、エルメスの財布を探し始めるのさ。これが行動経済学ね。

つまり、テレビ局はダウンタウンととんねるずの共演を実現させた結果、ダウンタウンととんねるずの共演があるかもしれないテレビ局への期待がなくなり、明日へと続くテレビ番組を見る価値はなくなり、視聴者はいいとも最終回の過去を語るしかないわけです。

考察ドラマにはそうした未来があるからブームになるわけね。だが、そんな視聴者はドラマにすら飽きたからね。エンタメの過剰摂取でお腹いっぱいなのよ。

視聴者が期待する未来も、予想を上回る未来もないわけだからタレントも役者も過去を語るしかできなくなるわけさ。

これがうっせぇわが流行った理由ね。
しょせん、二番煎じなわけさ。飽きたのさ。

あちこちオードリーや孤独のグルメが人気なテレ東はすごいよね。
タレントではなく、素人系番組だからこそ描ける未来があるもんね。

松本人志が神格化できたのはそうしたビジョンを描けるテレビマンがいて、とんねるずとの敵対関係を演出してきたから。
プロレス脳というやつだね。

もしも、紅白歌合戦でB'zが出演することになれば、それこそ紅白歌合戦は終わりだね。

視聴者が未来を語るためにも、NHKはB'zを出してはいけないが、そこまでビジョンを見ることはできないし、今の金欠マスゴミにこうしたプロレス思考はできないから、ソニーに媚びまくってK-POPとアニソンに頼るわけだから、どのみち今年で紅白歌合戦は終わり、ご愁傷様ですね。

そして、貧乏大衆エンターテインメントが終わり、中世の貴族エンターテインメントになっていくだろうね。 

ま、金持ちは本物のためにはカネを出すから、エンターテイナーにはいいことだね。