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社会の小さな歯車であることに希望を見出せた 映画『ラストマイル』感想文

製作を知った時から、密かに公開を待ち侘びていた映画『ラストマイル』を観てきました。

公開を前にずっとワクワクはしていたけれど、

・ドラマ→映画の流れがあまり好きでない
・オールスターキャストの映画が少し苦手

というような自身の偏った嗜好もあり、あまり内容に期待はしていませんでした。

このコメントに不快な思いを抱いた方がおりましたら、ごめんなさい。

でも、これが映画を観る前の正直な気持ちでした。

キャストもスタッフ陣も豪華だったため、期待し過ぎない方がいいかなあという感情のバイアスもかかっていたように思います。
(「感情のバイアス」って言葉を自分で使う日が来るとは…)

実はまだまだ紐解けていない部分、
咀嚼しきれていない部分ばかりで、
この段階でNOTEを上げるのはどうなんだろう?という思いもあるのですが、
自分の心が動いた部分、鑑賞した直後の生の気持ちをラフに残しておきたくて、
とっ散らかった気持ちそのままに、ここに書き記しておきます。



「やられた」



エンドロールが終わり、再び館内に灯りがともるまでの暗闇の中でそう思った。

野木亜紀子さんの脚本は実際に起こっている社会問題へのスポットの当て方、
そして、それをどんな風に物語へ組み込んでいくかが本当に秀逸だなあと…

ラストマイルで描かれた「日本の物流」については、
2024年問題、ドライバーや倉庫作業員の労働環境についての話題で誰もがどこかで触れたことのあるテーマかと思います。

わたしは、ついつい自分の日常や仕事と結びつけて考えてしまいました。
映画自体がそれぞれの立場の視点で描かれていたこともあり、

・自分の視点
・取引先
・社内関係者

といった各々の視点をリアルに受け止めてしまって、鑑賞直後は自分がどんな風に生活して、仕事をしていけばいいのだろうと呆然としてしまいました。
(ちなみに、今は少し持ち直して「悲観してばかりいられないよね」という気持ちです)

顧客の要望を叶えるための依頼は確実に誰かの負担になっていること。
自分の要求を満たすための便利さは、丁寧で親切なサービスありきで成り立っていること。
便利な生活の中には必ず血の通った人間の働きがあること。

分かっているはずなのに、お金を介すと見えなくなってしまう。

映画を観て、ブーメランをくらってしまう自分に対する失望も、少なからずあります。
本当、馬鹿な人間だなあと。
分かりやすくショックを受けてしまう自分が本当に嫌になる。


でも、それでも、映画で描かれる人たちを観ていて「もしかしたら自分のような人間もこの中の1人に含まれているかもしれない」
「いや、絶対に含まれているはず」と思えたりもしました。
色々な視点を描いてくれる脚本だからこそ、そう思えたのかもしれません。

ここでこのNOTEのタイトルに繋がるのですが、

自分自身も社会の歯車のひとつとして何かしらの社会的な役割を果たしている限り、
自己評価がどうであれ、
同じ土俵に立って肩を並べて共に闘う仲間と思ってもいいのではないか

ふと、そんな風に思えたのです。

うまく言葉にできている自信は全くなく、
自分でも「これ映画の感想か?」と思ってしまわなくもないのですが、
映画を鑑賞した直後の1番の気持ちです。
この気持ちをどうしても残しておきたくて。
それだけのためにスマートフォンのフリップ入力を駆使して記事を更新してみました。

他にも、もちろん、アンナチュラルやMIU404との再会には心の中できゃっきゃうふふが止まらなかったりもしたんですよ。

MIU404やアンナチュラルの一部ロケ地が私自身の日常に程近いこともあり、余計に、
「ドラマが終わった後も登場人物たちの日常は当たり前に続いていたんだなあ」と胸が熱くなったり、
「伊吹と志摩、ずっと相棒のままだったんだな」とか「ああ、あの子の、あの人の成長がそう繋がるのかあ」とか、ね。

またゆっくり観たいので、きっともう一度劇場へ観に行きます。

そして、映画館の暗闇で涙を流すことのできる環境に身を置いていることに感謝しています。

最後に、よく分からない文章だったことと思いますが最後まで読んでくださったあなたへ、
お付き合いいただき本当にありがとうございました。

また来週も観たい映画の公開が控えているので楽しみです。

では、また。

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