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今敢えて思う杉作J太郎その人

昔、野暮天なる男ありけり。
余人に誤解されし事、甚だしき人也(吉田豪氏曰く)。
されどされど…慕われし事も中々に少なからず也。
かのAKB指原莉乃嬢は、その野暮天を指して"芸能界であった中で一番面白い人"と言いける。
また同じくAKB秋元才加嬢は"素敵なオジサマ♪"とも、かの野暮天を称したとか。
そして、リリー・フランキー氏によると"サブカルっていうのは杉作さんの事だよ"と評した事も在るという。
兎にも角にも、よくよく下に見られたりもしながら、分かる人には分かる、かの御人は、中々に悲しみを背負いし事も…。
…"すべて幻"とはその野暮天が世に出したる詩・歌の題名也。
之を一聴するに、馬鹿馬鹿しき歌詞とも思えけりて些か呆れたる聴衆も多いやも知れぬが、その裏には、実は、志半ばにして逝った様々の同志の男達への儚き哀切が、世の中を"すべて幻"の如く思わせる無常として現れた中で作りし歌・詩也。
大の大人が精一杯真面目にやってる(たとい巫山戯てる様に思えても)事を、そのまま(想像力無く)受け取ってくれる無かれと、何処かで嘆ける野暮天の思いを当方は確かに聞きにしけり。
斯様に誤解され侮られ謗られ不遇を囲いしが、然し乍らかくなるとて、未だかの野暮天に希は絶たれじとも言えぬ事も無し。
三島由紀夫こと平岡公威先生曰わく、"ある瞬間、その人が最も神に近付くには、ある種のそぐわなさが無ければならない"とも言い遺せり。
当に杉作J太郎その人は、況んや、そのそぐわなさを然と備えんと我は信ぜん。
又、日月神示(一二三)にて示されている如き、これより以降の上下ひっくり返る三千世界の大峠に於いても、今、下に見られて在る事は、寧ろ励みになり、陽気暮らしの天理に倣えば心強きに繋がり、ウレシキは嬉し氣を呼ぶ事を信じてこそ苦の華は咲耶姫。
詰まる所、かの野暮天なる杉作J太郎先生に足らぬは一二三に示されている様な立体の祈り也。
そこでかの人に今こそ贈らん、日月神示の教え。
同じく中々に苦労の花咲き実り結ばざる皆々様も我が事の如く思いて聴き入れ給わんを願うばかり也。
では御覧あれ↓

"まことから出たことは誰のねがひも同様。心配せずにドシドシと進めて下されよ。若し行き詰ったら省みよ。行き詰った時は大きくひらける時ぢゃ。ぢゃと申して ひとこころで急ぐでないぞ。急ぐと道が見えなくなってくるぞ。そなたの考へて御座ることは自己中心でないか。"

"昨日は昨日、今日は今日ぞ。そなたは動機が善ならば失敗は薬と、われの都合のよいように、われとわれを弁解して御座るなれど、弁解したのでは薬にならん。毒となることあるぞ。省みよ。"

"何処で何してゐても道さへふんで居れば弥栄えるぞ。行き詰ったら省みよ。己の心の狂ひ、判って来るぞ。神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。やりてみよれ。根なし草には実は結ばんぞ。お尻出したら お尻綺麗にふいてやれよ。怒ってはならん。"

"自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何なる悪いことも それは最善のものであるぞ。"

"真理を知って、よくならなかったら、よく省みよ。よくなるのがマコトであるぞ。悪くなったら心せねばならん。善人が苦しむことあるぞ。よく考へて見い。長い目で見てよくしようとするのが神の心ぞ。目の前のおかげでなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。"

"三千世界和平から出発せねばならんぞ。そなたは神示をよくよんでゐるが、それだけでは足らん。神示を肚に入れねばならん。つけ焼刃ではならん。神示を血とし生活とすれば、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程 栄えて来るぞ。思ふように運ばなかったら省みよ。"

"これから先は金もうけばかりも出来ん。今までのような、神信心ばかりも出来ん。神の道を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。金たまらねば深く省みよ。道に外れて御座るぞ。人は罪の子でない喜びの子ぞ。"

"悔いあらためよと申してあらう。省みて行ずるその祈り弥栄えるぞ。平面の上でいくら働いてももがいても平面行為で有限ぞ。立体に入らねばならん。無限に生命せねばならんぞ。立体から複立体、複々立体、立々体と進まねばならん。"

↑以上はほんのまだまだ序ノ口(去れど一つ一つが珠玉の神示也)にて祈りの本質・正念の在り様は説き尽くせてはあらじ。
なれど、天道が是であり非不成を示すにも、これまでがこれからを決めるので無く、"これからがこれまでを決める"(藤代聡麿先生による)という事をしっかり理解しながら、"神さえ居なければ全てが許されるのでは無く(カラマーゾフの兄弟より)"、"神さえ居ればこそ全てが許されるのだと勇み立ち"、希望と信念に燃えて正しく念ずれば正しく現じ、邪に念ずれば邪が現ずと肝に銘じて、杉作先生を始めとする世々の苦労の下に暮らす野暮天達が自分との闘いを制した暁には、愈々と夫々が万劫末代の名を上げるは確かなる次第也けり。


そして、精進して各々が夫々の肉の宮・御霊の社をば磨かんに当たって、様々に助けにならんと当方は身を養う正しき道を発せるを心掛け、より精進せん哉。
何卒、大和魂の輝かせんが為、互いにこそ励まん事を誓おう。いざ大峠也。

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