【短編小説】『放置子』【読み切り】

放置子

中学二年生の智明は六時間目の授業を終えると、いつもと同じように二組の教室へと向かった。

今日も二組は授業が長引いているようだ。きっと河野先生がまた長話をしているに違いない。

涼からいつも愚痴を聞かされていたので、授業を受けたことのない智明でさえもいつの間にかその教師のことを嫌いになっていた。

教室が騒がしくなり、生徒たちが勢いよく教室から出てくる。涼の姿はその中からすぐに見つかった。

「はいこれ」

涼から鞄を受け取る。智明は自分と涼の鞄の持ち手を重ねて右手に持った。

二人とも教科書はほとんど持ち帰らないので、鞄を二つ持っても重くはならない。しかし、周りから必要以上に視線が集まる気がして、自転車置き場に着くまでのあいだ、智明はいつも気持ちが不自由な感覚を覚えた。

「昨日のベアーズ見た!?」
自転車で国道沿いを走りながら、涼が言った。

ベアーズとはユーチューブ上で活動している二人組の名前であり、彼らは過激な動画を投稿することで若い層からとても人気があった。

「うん」
「今日あれやろうぜ!」

涼の「あれ」という言葉は、ベアーズが投稿した動画の内容のことを指している。涼がベアーズの動画を再現しようとするのはいつものことなので、智明は驚くというよりも悪い予感が当たってしまったというような気持ちでいた。

昨日の動画の中で、出演者たちが辛さに悶絶していた姿を智明は思い出す。

「絶対面白いって!」

智明はその言葉に対して嫌がるそぶりを見せながら、一方でやる気を起こしてしまった涼を止めることはできないだろうと諦めてもいた。

涼の気分は台風のようなもので、自分ではどうすることもできず、ただ穏便に過ぎるのを待つことしかできない。

結局、ベアーズが動画内で食べていたものと同じスナック菓子を、家のすぐ近くのスーパーで買った。

「新発売」や「激辛注意」といった文字、コミカルな悪魔が描かれたパッケージからは若者向けであることが強く伝わり、きっとベアーズが食べたんだからこれから人気も出るんだろうと、智明は専門家を気取ってぼんやりと考えた。

家に帰ったところで、涼がお邪魔しますということはないし、智明の母もいちいち気にしない。智明と涼は黙って二階へと上がると、智明の部屋のドアを閉めた。

ドアには一ヶ月前、ベアーズの真似をしてドアを蹴破ろうとしたときの傷がある。

ドアだけでなく、部屋のそこら中に動画の真似事をして作ったヘコミや傷があった。涼はこれらの跡を指差しながら、俺の家よりはマシだといつも言っていた。

噂によると涼の家は父親が物を投げるらしい。

「今日はうちのタレントに、激辛お菓子を食べさせまーす!」

涼が動画の口調を真似る。

ベアーズの二人は、とあるタレントとそのマネージャーという設定を動画内でとっており、マネージャーがタレントに何か無茶なお題をやらせるのがいつものパターンだった。

「おえっ」

タレント役の智明は、毒々しい赤色のスナック菓子を口に運び、大げさなリアクションをする。涼はけらけらと笑い、もっといけると智明を煽った。

初めは智明も平気だったが、突然喉の奥に激痛が走り、強く咳き込む。焦る智明の姿に涼は一段と手を叩いて喜んだ。

「みず!」
と、智明は急いで一階に降りると水道の蛇口をひねる。

慌ただしく二階から降りてきた息子に、母親は「どうしたの!?」と驚きが隠せずにいる。

「なんでもない」

智明の声は掠れてしまって、弱々しい。

「なんでもないって・・・何か変なもの食べたの!?」

部屋で何をしているかをいつも詮索しない分、母は日々一人息子に対して不安ばかりを膨らませていた。

「だからなんでもないって!」

水道で口をすすぐ智明の手を母は掴む。

「唇腫れてるじゃない!やっぱり何か食べたんでしょう!」

「だから!」

智明は母親の手を払いのけた。しかし、中学生は大抵自分の力が親を超えていることに気づかない。

母親は強く押された勢いで背後の食器棚に身体を打ち付けられ、皿やグラスがいくつも落ちてきた。倒れた拍子に割れたグラスの破片が脚や掌を切りつけ、母親は悲鳴をあげる。

床のフローリングが赤く滲み、出血のショックで震えている母親を目の前にして、智明はその場に棒立ちになった。

母親の悲鳴に思わず涼も階段を駆け下りてくる。

そして涼は未だその場に座り込み、震えている智明の母親を前にして

「うわ、血じゃん!」
と、嫌悪感をあらわにした。

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