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他人と比較しない

他人と比較することを止めたのはいつ頃なのか思い出せない。

昔から大きな感覚を持っていて、そこから感じることも独特だった私は、周囲との隔たりをずっと感じていた。そしてこの大きな感情は誰も受け止めてくれないとも思っていた。だから、自分の内面を表現することはほとんどしてこなかった。

十代の私を理解していた、しようとしてくれた人はきっと1人もいないと思う。そして、それは自分の感覚と向き合うことになった。

やっぱり自分は他人と違う感じ方をしている。それが確信になった時、比較することの無意味さを充分すぎるほど理解したのだと思う。

多くの人は、人よりもどこか秀でていたいし、認められたいのですよね?でもその秀でるための努力は自分にしか分からないし、認められても自分が納得していなければ空虚なものになると思う。
人生は他人からのスタンプカードで埋まるゲームではない。

自分を認めると、他人がどうであれどうでも良くなる。今見ている他人は、その人の人生のほんの先端部分だ。私はそこで勝負したいけれど、きっと多くの人はそんな事は考えていない。

比較するなら、その人の辿った道を全て知ってからだと思う。それができなければ、比較すること自体が無意味だ。
ただ、一人で勝ち誇っても滑稽でしかないので、考えることと責任を持つことはずっとしていきたい。

それでも、比較しない孤独は誰もが耐えられるものではないのだろうね。みんな、自分が歩いてきた道からは大きく逸れることはできないのだなぁとこの頃思う。

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