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映画「聲の形」をインクルーシブ教育の視点から観る

聲の形

2016年に公開された映画です。
知り合いのすすめで、映画館で観ました。

その時は、あまりよいと思わなかったのです。
泣いたけどね。

今日、もう一度、観てみました。

ネタバレになると思いますので、これから観ようと思う方で、内容を知りたくない方は、読みすすめないでください。


小学生の石田くんのクラスに、ある日転校してきた西宮さんは、耳が聞こえません。そして、ノートに書くことでコミュ―ケーションをとろうとします。
転校当初は、クラスメイトは、興味津々で、西宮さんに話しかけます。
これは、障害があるなしに関わらず、転校生への子供たちの反応だと思います。

しかし、だんだん、耳が聞こえない西宮さんは、クラスで浮いてきます。
合唱コンクールの練習で、前奏の時に、1人歌い出してしまう西宮さんに、クラスメイトが、うっとうしいと感じているシーンは、悪い予感を感じさせます。

そうして、いじめが起こります。
ここまでは、起こるべくして起ったように感じました。

西宮さんのお母さんからの学校への相談で、担任が、いじめの犯人を「石田」と名指しし、つるし上げたことで、今度は、石田君が、クラスからいじめにあいます。

ここまでは、学校の対応は、他にどうにか出来なかったのかと思います。

指導員をつけるとか、先生がサポートするとか。
担任が、どの程度、特別支援を考えているのか、描かれていませんが、
映画を観る限りでは、理解されていないのか、あれで合格なのか、分かりません。

途中で、西宮さんは、転校します。他の普通学校に転校したのか、特別支援学校に転校したのかは、不明です。
でも、あのまま、ずっと、普通学校でしたら、クラスメイトにとっても、西宮さんにとっても、悪い環境だと思います。

耳が聞こえないのに、担任は、授業を聞こえる人しか分からないような方法で進めて、クラスメイトが見るに見かねて、ノートを書いてあげるというやり方が、インクルーシブ教育なら、それは、しない方がいいでしょう。

その事については、文部科学省のホームページでは、言及されているのを探せませんでした。

障害のあるクラスメイトとどう接すればいいかは、書かれていました。

もし、私が小学生で、自分のクラスに障害のある子が転校してきて、その子が困っていたり、いじめられていたら、自分だったら、何が出来ただろうと考えると、何もできなかったと思うのです。

いじめに加担しなくても、傍観者になっていた可能性は高いです。

この映画は、好きな映画ではありませんが、考えさせられる映画です。
子供にこういった悲劇を与えないために、大人、教育者、保護者、学校へのメッセージだととらえました。

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