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ふるせらる(3) そのとき、日本は何人養える?

こんばんは。自分で追い込まないとフミが書けないミナトです。
色々考えて読書感想文には「ふるせらる」のタイトルを入れてまとめていこうかと思います。が、分かりにくいので変えるかもしれません・・
ココロがふるわされたものですね。

読んだ本

そのとき、日本は何人養える? 食料安全保障から考える社会のしくみ
著者:篠原信
読了

今回は、「そのとき、日本は何人養える?」を読んだ感想文。著者は京都大学博士(農学)で農業研究者である篠原信さん。

最近話題にもあがったりするが、食糧安全保障から考える社会のしくみという副題で、戦争、原油高騰、温暖化、本当は何が飢餓をもたらすのか?という内容。ただ、はじめにの中にもあるが、

しかし、答えに相当するものは本書には書いていない。答えは常に現実の中にあり、現実を観察し、試行錯誤することでしか見つからないからだ。

P6 はじめに

とあるように答えは書いていないので最初に書いておく。ただ研究者らしく、答えは現実の中にあり、現実を観察し試行錯誤することでしか見つからないという言葉にはうなずいてしまう。

本の目次

第1章 日本は何人養える?
第2章 飢餓はなぜ起きる?
第3章 大規模農業はすべてを解決するのか?
第4章 どうして石油が食料生産に関係するのか?
第5章 混迷する世界と食糧安全保障

第1章 日本は何人養える?

日本は何人養える?(2004.6.17)|イーズ 未来共創フォーラム (es-inc.jp)

こちらについては、2003年にこの著書のベースとなる「日本は何人養える?・・・一問一答」というレポートがあります。そのレポートで反響がありイーズ未来共創フォーラムなどで取り上げられ転載の許可が下りたものが公開されていました。少し見にくいですが興味がある方はごらんください。書籍の方はそこから改訂が入っています。

Q1. 日本だけで、どれくらいの食糧が生産できますか?
A1. 石油が現在と同じ値打ちで手に入るなら、9,000万人分くらいは大丈夫かも知れません。1960年代は食糧自給率が非常に高かった(カロリーベースで 79%(1960年))頃ですが、このときそのくらいの人口でした。しかし、石油が高騰するなど、手に入りにくくなると、3,000万人も難しいかも知れません。

Q2. なぜ石油と食糧が関係あるのですか?
A2. 肥料や農薬を作るのに石油が必要です。農業機械を動かすのも、輸送手段もそうですね。

日本は何人養える?・・・一問一答

これが導入の問答ですが、この時点でえ?え?って思った。3000万なの?肥料農薬に石油いるの?
そもそもこの本を読もうと思ったのは、前回の「ふるせらる」でとりあげた、

「日本はなぜ敗れるのか」で日本は化学肥料が足りないので戦後研究したいと研究者の言が載っていたから。
感想にはそこまで書かなかったけどそれで、日本で食糧生産するのに必要な化学肥料とかどうなっているんだろうと思って見つけたのがこの本。あまり類書はなかった。(いろんな分野横断しているので大変だからだろう・・)
水は日本はたくさんあるのは知っているが、肥料は?というと・・昔の水準で9000万人だそうです。

このうしろのQAを見ていっても分かるが、江戸時代の人口は3000万くらいで頭打ちでした。単純に考えて自然に極端な負荷をかけないで養える人口がそのくらいだということですね。
耕地面積が不足、エネルギーも不足、さつまいもなどで頑張っても8000万人くらいという計算結果が1998年の農水省からの調査結果でも出ているようで、これではどう頑張っても自給率が100%超えるどころか50%ですら・・と思ってしまう。

第2章 飢餓はなぜ起きる?

阪神・淡路大震災のときのことだ。私のご近所に住む散髪屋さんが、被災した方々のために無料散髪のボランティアに赴いた。被災者は手持ちの現金もなく、営業している散髪屋さんもないので、喜んでもらえた。やがて被災地も落ち着いてきたころ、地元の散髪屋さんから声をかけられた。「あんたは善意だろうけど、無料を続けられるとわしら干上がってしまうねん。」それできっぱり無料散髪のボランティアをやめたという。

P41 第2章 飢餓はなぜ起きる?

無料で何かをするというのは善意でいいコトでもあるが、緊急時はよくても平時にでも行っていると他の商売が成り立たなくなってしまう。そうすると生産者は撤退するが地域経済は生産者=消費者でもある。そして他のモノも少しずつ売れなくなったりという悪循環が起きてしまう。
これと同じことが農業でも起きているのだと著者は言う。アメリカの平均的1農家が生産する食料は129人分だそうだが、その収入では家族4人を養えず国から補助金ももらいつつ妻は外に働きに出ているという。

一般の人がどうしているか分からないが、自分のような中小企業勤めだとさほどサラリーがないので食費は押さえる傾向にある。米やパンなどの基礎食糧についても安いもので食べれるものを選択する。そうすると、それを生産している農家などはいくら作っても安くしか売れない。シャインマスカットなどが人気だったりしたが、あれは嗜好品みたいなもので美味しいものを食べたいときに買うもの。なのでたくさん作って値崩れしても困ってしまう。ここに貧困ループの一端が垣間見える。

農業以外の仕事があれば、それでお金を稼いで食料を買えばよい。しかし農業以外にろくな仕事がない国では、農家は自分たちの家族を養うだけで必死になり、雇っていた農業労働者をクビにするしかない。すると、そうした人たちが社会にあふれ、仕事を求める。賃金が低く抑えられ、蓄えもないから、たちまち食べ物を買うお金が無くなる。

P57 第2章 飢餓はなぜ起きる?

飢餓はなぜ起きるのか?食料がなくなるからではなく、食料を買うお金が無くなるため起きる。つまりなんからの災害や紛争によって仕事がなくなると目の前に食料があっても買えなくなる。食料が余っていればたしかに”安く”買う事は出来るがそこにアクセスできなくなるために起きるとインドの経済学者アマルティア・セン氏は分析した。アマルティア・セン氏はノーベル経済学を受賞した人で以下の本などを読んだ方が良いかもしれない。

第3章 大規模農業はすべてを解決するのか?

アメリカやヨーロッパは、農作物の価格が下落しても農家の所得が減らないよう、所得補償制度がある。(中略)こうした政府の補助が農家の所得に占める割合は、アメリカで26.5%、フランスは90.2%となっている。ちなみに日本は15.6%。

P68 第3章大規模農業はすべてを解決するのか?

非農業の産業が元気な先進国は農業GDPも大きくなる。他方、農業以外にめだった産業のない途上国の農業GDPは、金額的には大きくなりにくい。これは、農産物を高く買ってくれる高給取りの産業が育っていないためだ。
(中略)
農業が元気であるためには、非農業の産業が元気でなければならない。農家がしっかりした収入を得るには、非農業の産業で働く人たちが、高値で農作物を購入できるだけの購買力が必要だ。

P69 第3章 大規模農業はすべてを解決するのか?

第2章からの続きとなるが、小麦などは輸入していてしかも安い。が、現地の国の農家はそれで食べていけないくらいの安値で供給している。それなので国が補償をつけて輸出までしている。ということは農業以外の産業がないと成り立たない。他の産業で稼いでいるからこそ、補償を付けて輸出まで行えるという事だ。
これは途上国からすると相当脅威だし他の産業を育てている余裕もなくなる。それにしてもなぜそのような食糧(この書ではコメや小麦ののような必需品の食品を食糧とよんでいる)が安く輸出されるのだろうか

なぜコメはこんなに安いのだろうか?その原因は、皮肉にも「命にかかわるから」だ。経済学の大家、アダム・スミスは『諸国民の富』で、穀物がなぜ安値で取引されるのかを解説している。ここでは理解しやすいよう、水の値段を考えよう。
水が足りなければ命にかかわる。だから誰もが水を余分に確保しようとする。しかし余分があるということは、市場原理に従えば「在庫がだぶついている」ということ。すると、市場価格は下落する。だから水はタダみたいな安値となる。
ところが水がないと、たったコップ1杯の水でも金銀財宝を山と積んででも飲みたくなる。命にかかわるからだ。

P76 第3章 大規模農業はすべてを解決するのか?

アダム・スミスは興味深いことを指摘している。豊かな国は食糧が安い、と。

P77 第3章 大規模農業はすべてを解決するのか?

昔から必需品なのになぜ安いんだろう、儲からないのはなぜなんだろうとは思ってはいた。たしかに水は原材料費も安い。しかし穀物は?これは裏を返せば安いからこそたくさん人が生まれても生きていけるという見方もできる。
命の根源に関わる水がないとどうなるかというと戦争になる。水で争いをしたという例は日本にもあった。

それで争っているような国はそこで発展は止まってしまうだろうし、それ以上の人を養うだけの水もないともいえる。そして安く確保できるから他のことに労働力や文化にも力を割くことができたということだろう。
個人的な見方で言えば、安価に確保できるからこそ必需品になったのかもと感じる。高価なものは必需品ではないということだし。だって無くても困るわけではないからね。しかし必需品になってから高価になると争いが起きる。
コロナウイルス初期の頃のマスク騒動を思い起こせばそうだったなと思い出した。必需品となったものにたいして市場原理を持ち込むとどうなるか。市場で解決できなくなると暴力に発展するのは歴史が証明していると思う。水争いやアフリカなどでの飢餓での暴動など。この安価だから必需品というのと、必需品と市場原理の双方向性は大事な観点が見つかったと感じた。

第5章 混迷する世界と食糧安全保障

第4章は石油でないとダメなのかについて書かれていた。電気で代替できるかというと難しいという内容。
第5章は食糧を確保するためとそのために必要なエネルギーの確保についての論点が書かれている。答えが書いているわけではないということは最初に書いたが、色んな人がいろんな分野で解決なり代替案なり考えていくべき問題なんだろうなと思う。自分のような普通のシステムエンジニアがこれを知って何が出来るのかは正直よく分かってもいないが、気になる見出し部分を書き出しておく。

  • なぜ「ステークホルダー資本主義」という言葉が現れたのか?

  • 「消費」して地球は壊れないのか?

  • 消耗しない消費は可能か?

  • 「役に立たないなら人はいらない」のか?

第二次世界大戦前、貧富の格差が大きくなり始めたとき、二つの思想が生まれた。共産主義とナチズムだ。(中略)
当時、経済学で主流だったのが自由主義(新自由主義の前身)であり、貧富の格差は「仕方ないこと」として受け止められていた。この状況に異を唱えたのが、共産主義であり、ナチズム(国家社会主義)だった、この二つに共通するのは、金持ちへの憎悪。この二つの運動が吹き荒れた国では、金持ちや貴族は全財産を没収され、ひどい場合は殺された。(中略)
これを食い止める方法がないかと考えられたとき、注目されたのがケインズ経済学だった。

P140 第5章 混迷する世界と食糧安全保障

ステークホルダー資本主義の元として第2次世界大戦前に現れた(旧)自由主義が紹介されている。そしてその対抗としてでてきた共産主義やナチズムを止める方法としてケインズ経済学が注目された。
これは消費者重視的な経済学と見ていいだろうか。途中で松下幸之助の言葉なんかも引用されているが、高度成長期の日本は全員社員で雇ってきた。会社からすれば今の都合よくつかえる派遣社員などのほうがいいというのもあったようだが、それだと困るだろうから人が多少余ってても雇用してるんですよと当時の三木首相をたしなめたそうだ。
バブル崩壊後おかしくなったのは、必要な雇用だけにして消費者軽視の新自由主義時代の結果とも言えるし消費が伸びないのも当たり前なのかなとも思う。
ただ、消費優先だとどうなるかというと、

自動車「産業」と呼ばれるように、何かしらモノを作る仕事を「産業」という。しかし資源やエネルギーの観点からは、それらは「消耗業」でしかない。「石油産業」も石油をゼロから創っているわけではなく、ただ掘りだしているだけだ。やはりエネルギー的には、消耗業でしかない。(中略)
しかし現代の農業は結局のところ、「消耗業」だ1kcalのコメを作るのに1.86kcalの化石燃料を使う。化学肥料やトラクターを利用するからだ。

P143 第5章 混迷する世界と食糧安全保障 

ようするに、資源もエネルギー的にも人間活動は赤字のゾーンに突入したのだろう。

まとめ

大雑把に考えて、日本は土地が限界なんだと思っていた。一番広くて温暖な関東平野の航空写真をみると住居や工場など建物だらけで緑がほとんどないのだ。夜景が美しく見えるのは逆に昼間の光景が美しくないからだろう、あまりに人工的構造物しかないのである。

国土地理院 地理院地図より

このような写真を見ながら、いざという時に食糧生産といっても一番いい場所はオフィスか工場か住居じゃんかと思っていた。生産性が高そうな平野部で農業をする土地が残っていない。
しかし、本書を読むと土地以外に肥料がまず足りないという話がでてきた。これは化学肥料として輸入している。それから生産に必要なのはトラクターなどの機械でそれを動かすエネルギーだ。こちらも輸入である。まだ電動トラクターでは馬力が出ないらしく化石燃料になっている。それにハウスなど行っている人からすれば分かるだろうけど、ハウスの暖房はボイラーで重油が使われている。家の暖房と同じでエアコンは高くつくし、乾燥してしまう問題もある。
そして食糧は儲からないので他の産業が必要という3つ目の理由もでてきた。あまりに気が重い話で、この本の感想を描きたいと思いつつもかけなかったのは未来への展望が描けなかったからである。

ただこのあとハルさんの記事を受けて何かノートとして形にしたいと思っていてその前振りとしてこの本の感想は書かないと前に進めない。そう思って感想文をまとめてみた。個人的にココロが振るえたのは、本筋からは離れた必需品は安い、そして安いものが必需品になるというところ。逆に言えば安いと思って無下にしてると痛い目にあうぞと。水がないと死んでしまうからね。
つまり人で言えば目の前にいる人、資源なら目の前にあるモノ、まずはそれを大切にすることから始めるのがいいんじゃないのかな。無限だと思っていたものが無限じゃなかったとき、争いがおきる。一人の人ができることは多くはない。だからこそ、協力するのだろう。

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